─── 今回は1999年を中心に振りかえってみようと思います。前年自らレコードレーベル"ZOOTREC"を立ち上げ、プロデューサーとして数多くのアーティストを手がけるなど多忙な毎日でした。
織田 多忙ではあったけど正直充実感のない日々だった(苦笑)。当時は相川七瀬のほかに、The Kaleidoscope、BAJI-R、THE TRANSFORMER、といったバンドを事務所で抱えて、彼らはみな基本的に自分らで音楽を作れるバンドだったけど、なんだかんだと結局俺も音楽制作以外の仕事に時間をとられるようになり、精神的な疲労も積み重なっていった。もともと俺は人間関係とか得意じゃないでしょう(笑)。仕事以外でもまわりを取り巻く状況の変化や心労も重なって、どんどん枯渇感が増していく、そんな毎日だった。思い出すと風景が歪んでいるよ。
─── この年はバンド「DON'T LOOK BACK」の活動が本格化します。まずこのバンドの結成の経緯からお聞かせ下さい。
織田 「やろうか」ってメンバーに話し始めたのは1996年のツアー「行きましょう、どこへでも」で古村と二人で全国を回っていたころだったと思います。当時スタジオでのレコーディングは、ギターをはじめ楽器の演奏や打ち込みやら何やら、ほとんど一人で作業することばかりで、ちょっとそんな状態がイヤになってきていた。やはりもともと俺はバンドマンだから、バンドをやりたいなあという思いが強くなってきていたんです。人間関係すぐ煮詰まるくせに(笑)。「バンドだから楽しい」という記憶と「バンドだからシンドイ」という思いの両方を数多く経験したんだけど、この時はしばらくバンドから遠ざかっていたせいもあって(笑)楽しかった記憶が勝って「DON'T LOOK BACK」を始めてみたんです。
─── サックス古村敏比古さん、ドラム小田原豊さん、ベースは美久月千春さんと豪華なメンバーです。
織田 古村はもともと学生時代から一緒にやってきて、気心も知れているし、このバンドのアイディア自体が「行きましょう、どこへでも」の二人にリズムセクションをプラスしたバンドで全国回ってみたいな、というところから始まっているので。小田原にしても、『Candle In The Rain』の頃からレコーディングにも来てもらっていたし、「TOUGH BANANA」にも参加してもらって、燃えさせてくれるグルーブっていうかなぁ、ドラムは彼しかいないと思っていた。最高の時は想像以上のとんでもない力を発揮するドラマーなんです。ベースの美久月(ミック)はこの10年、20年音楽業界を広く見渡しても、これほど幅広く活躍している存在はいないんじゃないかな。実は野蛮な凄さもあるし、どんな繊細な音楽にもちゃんとあわせられる圧倒的に優れた音楽的な力量の持ち主です。天才ベーシストですね。この三人は人間的にも好きだし、俺が求める最高のグルーブが出せるメンバーが集まってくれました。本質的なところで「あふれるもの」があるロックなミュージシャン達だね。
─── 織田さんが求める理想のグルーブについて、もう少し詳しく教えてください。
織田 ドラマーで言えばLed Zeppelinのジョン・ボーナムやFreeのサイモン・カーク、Humble Pieのジェリー・シャーリー。ベースはモータウンのジェームス・ジェマーソンとか、ギターで言えばキース・リチャーズといった、ある意味下手でもいいから(笑)その人の気持ちいいと感じるグルーブを明確に具現化できるミュージシャンが好きです。根本的にそういう姿勢のミュージシャン達が、リズムを合わせようとするのではなく、それぞれが「これが最高だ」と打ち出すグルーブがバンドとして化学反応を起こす瞬間が最高ですね。
─── 実際に始めてみてどうでしたか?
織田 このメンバーなら面白いと思ってバンドを組んだ途端に「こういう風にバンドは辛い」ということをバンバン思い出しました(笑)。実は俺以外全員血液型がB型だったし(笑)。20代前半からバンド組むとなぜかB型、O型ばかりでね。不思議なものでやっぱり血液型って特徴が出るよね。B型って、人の話、聞いてないんだ、これが(笑)。まあ、そうは言っても俺を放っておいてくれるし、好きにさせてくれるから、俺、結局B型好きなのか(笑)。他のメンバーB型同士3人はそんなに面識なかったりもしたけど意気投合するのは早かった。でもこの頃は俺の鬱がどんどん強くなっていたころで、もっと俺自身が能天気に楽しくやれていれば良かったと反省しています。良いROCKをやっていたのにね。
─── 古村さん、小田原さん、美久月さん、いまや浜田省吾さんのツアーの重要なサポートメンバーでもあります。
織田 そうなんだね(笑)。しかも「TOUGH BANANA」の時に一緒にやっていたキーボードの小島良喜もハマショーさんのバックに加わっているし、これに俺がギタリストで加わったら、「DON'T LOOK BACK」と「TOUGH BANANA」の混成部隊だね(笑)。
─── さて「DON'T LOOK BACK」は1999年4月から2ヶ月おきに4枚のシングルをリリース、さらにその間ツアーで全国を回っています。かなりのハード・スケジュールをこなしています。
織田 枯渇感っていうか、仕事も仕事以外のストレスも溜まる一方で、何とかバンドをやることをきっかけに、音楽でそのストレスを解消できないかな、とも考えていたんだよね。これまで、仕事も含めたストレスを別の音楽制作活動で解消しようとして、うまくいったときもあったんだけど、この時はあまりうまくいかなかった。DLBでよけいに忙しくして自分で自分の首を絞めた格好になったな。とにかく酒飲んでないと空気が自分をキューッと押し潰す感じっていうかな、これ、俺ヤバイなって自覚があった。だから酒飲んで泥酔して麻痺させるしかなかったんだよ。そんな生活だからストレスや悪いものが体中に溜まっていたと思うよ。この一年を一言で表すとすると、「泥酔」(笑)だな。
─── 尋常ではないストレスと過酷な日々。内臓もかなり痛めることになったのでは?
織田 肝臓も胃も腸もかなり痛めたと思うよ。それでもプロデューサーとしてはいつでも前向きなことは言っていないといけないし、会社の経営もあった。ロクに休みも取らず、体は丈夫だったから無茶してたよね。当時の写真を見ると、どれも鼻赤いもん(笑)。
─── 文字通り頑張っていたと。
織田 頑なに張っていたよね。もちろん仕事に対する責任感はあったし、相川の詞を書かなくちゃいけない締め切りギリギリの状況では30分くらいで一気に書き上げる、そういう集中力は残っていたね。
─── 頑なに張る。頑張るというのはある意味、辛いことでもあると思いますが。
織田 しんどかったね。空気に押し潰されそうな感じがあったり、歩いてもフワフワする感じもあったり、素面の時は心身ともに最悪の状態だったね。その状態から逃げるように毎日ドロドロに酔っ払っていて、自分の悪い運気をまわりに撒き散らしていて、ほんとダメ人間だったよ。各方面にいろいろご迷惑掛けました。ちょっとここで書けない惨状が沢山ありました(笑)
─── よくぞ、ご無事で。
織田 あの状態で何とか運良く無事だったってことは、今振り返ってみればほんと何かに守られていたと思う。やっぱり俺は定期的に長く休息を取った方が良いんだよね。大体人生5年周期でそんな時間を作らないとダメみたいだね(笑)。
─── こんなハイスピードで走り続けるなんて、常人には考えられないと思います。ぜひ今後は適度な休息を定期的に取ってください。さて1999年について、その他の活動を振り返ってみると、大きな成果として相川七瀬さんの初のベストアルバム「ID」がミリオンセラーを記録します。
織田 マスタリング、アレンジをやり直したり、シークレット・トラックで遊んでみたり、いろいろやってみました。でも一から詞曲を作るわけではなかったので、それまでの相川のアルバムに比べると、作業面では楽だったかな。
─── 相川七瀬さんといえば、この年発表された「COSMIC LOVE」のプロモーション・ビデオも印象に残っています。
織田 このPVの制作は堤幸彦さんにお願いしています。俺の初監督作品である「恋心」を助監督的に堤さんにフォローしてもらうという恐ろしい無理を聞いてもらって以来(笑)、堤さんにはいつも散々無理を聞いてもらいました。いつも面白がってやってくれましたね。「DON'T LOOK BACK」のPVも堤さんにお願いしています。
─── 堤幸彦さんは、その後、「ケイゾク」や「TRICK」などのTVドラマや映画監督として大活躍されます。
織田 そうだね。とても才能のある方なので、一緒に仕事をしていて、とても楽しめました。
─── さらにこの年はBAJI-Rのファースト・アルバムのプロデュースもありました。
織田 BAJIからBAJI-Rに変わっても相変わらず、素晴らしいアルバムになったと思うよ。でも彼らの存在自体、ちょっとタイミングが早かったですね。チンタラ感っていったらイイのかな? 当時はまだそれが評価される時代ではなかったね。楽曲にしても、仕事のスタイルにしても、本人たちのヤル気もちょっと緩かったし(笑)。それが彼らの持ち味なんだけど。
─── 今なら「ゆるさ」も味わいのひとつとして充分受け入れられると思いますが、改めてBAJI-Rの高い音楽性は今日再評価されてしかるべきだと思います。
織田 タイミングの問題だったね。1999年のヒット曲一覧をながめて比較してみても、彼らの音楽はちょっと異質だよね。でも彼らが才能あるミュージシャンであることだけは間違いない。
─── 今回もそろそろ時間となりました。今年は織田さんにとってプロデビュー30周年、ソロデビュー25周年の節目となる年です。アルバム『GROWING UP "1983〜1989" 』がソニー・ミュージック・エンターテインメントから9月10日(水)に発売されます。このアルバムについてお聞かせいただけますか?
織田 1983年のソロデビューアルバム「VOICES」から1989年発売の「Candle In The Rain」まで、CBSソニー時代に発表した8枚のアルバムから41曲を選んであります。マスタリングはもちろん、多くはトラックダウンからやり直しています。また41曲すべてに解説も付けてみました。今になってようやく当時を冷静に振り返ることが出来たような気がします。当時から聞いていてくださったファンの皆さんはもちろん、その頃の俺を知らないロックが好きな読者の方にも、このアルバムを聞いてもらえるとうれしいですね。
─── 織田さんご自身が書かれた全41楽曲解説も魅力的な「GROWING UP "1983〜1989"」の発売、当時の豪華メンバーでのライブツアーも楽しみです。それでは次回、織田哲郎ロングインタビュー第20回は2000年のお話から伺ってまいります。よろしくお願いします。
織田 了解。これからライブやプロモーションで皆さんとお会いする機会も増えますので、楽しみにしてください。
※次回更新は「GROWING UP "1983〜1989"」発売日、9月10日(水)を予定しています。
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