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One Night
UPCH-1541 ¥3,000(税込)
One Night|織田哲郎|2007.05.23 Release
1. もう少しがんばってみよう。
2. 青空
3. 瞳閉じれば〜Let's dance〜
4. TONIGHT
5. インソムニア
6. 最後の恋
7. 真夏の夜の甘い夢
8. キズナ
9. Sunrise Sunset
10. 祈り
11. 真夜中の虹
12. 明日へ
melodies
UPCH-1517 ¥3,059(税込)
melodies|織田哲郎|Now On Sale!
1. 負けないで
2. シーズン・イン・ザ・サン
3. ボクの背中には羽根がある
4. 愛のために。
5. 碧いうさぎ
6. 突然
7. 世界中の誰よりきっと
8. この愛に泳ぎ疲れても
9. Anniversary
10. 世界が終るまでは…
11. 恋心
12. このまま君だけを奪い去りたい
Tetsuro Oda “The Long Interview”織田哲郎ロングインタビュー
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vol.7 音楽が自分を救ってくれた……。―――プロデビュー前夜

─── 織田さんが音楽に出会い、救われ、そして本格的に音楽に目覚める。その原点は先週お話いただいた高知での寮生活だったと…。

織田 そうですね。音楽に救われ、音楽を生業(なりわい)として暮らしている…。音楽家としての俺にとって、この世に生を受け、現在まで繋がっているあらゆる時間のなかで、帰るべき「初心」や「原点」があるとすれば、やはり高知での2年間、あの時、あの場所での感激や体験しかない、と思います。

─── そして、そこには「よさこい」もあった。いまや全国各地に広がった感もある「よさこい」ですが、ご存知ない読者のために織田さんから四国三大祭りのひとつでもある、元祖「よさこい」について、解説していただいてもよろしいでしょうか?

織田 まず、鳴子を両手に「よっちょれ よっちょれ よっちょれよ!」という華やかな掛け声の「正調よさこい鳴子踊り」がある。また「土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た よさこい よさこい」というフレーズが有名な「よさこい節」はご存知の方も多いでしょう。この二つのフレーズとメロディーが基本です。装飾を施したトラック(地方車)に先導され、そこから流れる音楽に合わせて踊り、街を練り歩く。そのトラックから鳴らす音楽は各チームで自由に作る。基本メロディーがどこかに入っていればOKで、あとは何でもあり。ヒップホップよさこい、サンバよさこい、ロック、パンク、メタル、クラブ・ミュージック、レゲエ、ジャズ、フュージョン、モーニング娘。よさこいまで、本当に何でもありです。

─── それは面白そうですね。

織田 これは壮観、本当に凄いよ。最近は打ち込みだけで派手に音を作って、PAからあらかじめ用意した音源を鳴らすグループがほとんどだけど、なかには生演奏で勝負するチームもある。それぞれにとてもクリエイティブだし、よく考えられていますよ。衣装や踊りの振り付けも毎年新たにイチから作り上げ、100人以上の人間が合わせる。本当に多種多彩で、それが150以上のグループになって街中を練り歩く…、一度あの場所のエネルギー、パワー、空気を体験したら、きっと感動すると思うよ。百聞は一見にしかず、一度是非高知で生のよさこいを体験してみて下さい(笑)。

─── 高校時代の「よさこい」はどうでしたか?

織田 俺の高校時代はこんなにバラエティに富んではなかったですね。当時は「正調よさこい鳴子踊り」がほとんど。もちろんそれも良かったけれど、その後どんどん進化してきましたね。実は高校の頃から一度俺もトラックの上で生演奏して先導してみたいと思ってたんですよ。

─── それはぜひ拝見したいですね。TVのドキュメンタリー番組や映画にしても面白そうです。

織田 そうだね。じゃあ構想だけはしっかり、いまのうちから練っておきましょう(笑)。

─── その想い出の高知から再び東京へ、それからの織田さんについてお話を聞かせて下さい。

織田 高二で坊主頭の織田少年、ふたたび東京へ、ということになるんだけど…。ここでもまた激しいカルチャー・ギャップがあったなあ。今度は髪型服装一切自由で、屋上に灰皿が普通に置いてあるような学校だったからね(笑)。休み時間になると喫煙組はみんな屋上に上がって(笑)。当時、都立の中でも有数の自由な校風の学校だったようですね。そして転校した始業式の日。今では大学が引っ越してしまったけれど、都立大付属高校は当時、東京都立大と校舎が同じ敷地内にあったんです。始業式の最中に隣接する大学の方から、ロックが聞こえてきたから始業式を抜け出し、大学内の、音のする方角へふらふら入っていって(笑)。

─── よく問題になりませんでしたね。

織田 何も考えていないですね(笑)。教室で演奏していた大学生に混じってその場でセッションに参加したんです。彼らもどこの誰かも知らないのに、その日のうちにそのままボーカルを任されることになり、サークルにも入部してしまった(笑)。

─── それが都立大音楽サークル始まって以来の高校生部員の誕生となるわけですね。

織田 あれはラッキーでした(笑)。何しろ大学の部室には楽器が揃っていて、いつでもそれを自由に使えて、思いっきり音が出せる。俺にとって最高にありがたい環境だった(笑)。また都立大も当時、大学祭になると夜通し酒宴やってるような自由な校風で(笑)。

─── いい時代でしたね。過保護や行き過ぎた管理教育からは天才は生まれません(笑)ところで北島健二さんとの出会いはどういう形だったんですか?

織田 高知では結局いつも人のギターを借りて弾いていたんだけど、いよいよ自分のエレキギターを買いたいと思って。フライングVというギターが欲しかったんですよ。マーク・ボランが持っていたヤツ。そうしたら別のクラスでたまたまグレコのフライングVを売りたいという男がいることがわかって、それが北島だった。編入してすぐの事です。結局彼からグレコのフライングVを買いました。それが縁でいろいろ深く話すことになり、一緒にバンドを組むことになった。北島健二は当時から驚くほどギターが上手くて、当時では珍しかった本物のギブソンのレスポールを弾いていました。その腕前もレッド・ツェッペリンの海賊版で演奏しているジミー・ペイジよりも断然上手くてね。彼はすでにその界隈では有名で、彼の噂は当時小室哲哉君も知っていたようです。でも高知から引っ越してきたばかりの俺がそんな事、知るはずもない(笑)。転校してきたら、たまたまそこにいた同級生だったわけで…。だから「やばい、東京って、みんなこんなレベルかよ!」とかなりビビりました(笑)。もちろん今でも彼は最高のギターリストの一人だと思っています。彼以外にも、うじきつよしさんが同じ学校の一学年上にいてね。すでに「子供ばんど」という名前で完成度の高いライブをやっていました。

─── 北島さんと組んだバンドではどんな曲を演奏していたのでしょうか?

織田 このバンドはレッド・ツェッペリンのコピー・バンドです(笑)。どこまで本物に近い演奏を出来るか、本気で目指していました。ギターは北島で、ボーカルが俺。その時は真面目にロバート・プラントになりきろうと思っていた(笑)。

─── なぜ、レッド・ツェッペリンを選んだのでしょうか?

織田 バンドのメンバーそれぞれがかなり違った音楽を好んでいて…、まず北島はハード・ロック人間だったし、俺はフォークやブルースといったもっと土臭い音楽が好きだった。当時ベースを担当していた男はフュージョンに進みつつあって…と趣味がまったくバラバラでね(笑)。もちろんレッド・ツェッペリンは優れた良いバンドだと思っていたけれど俺にとって一番歌いたい音楽ではなかった。でもそれよりメンバーの技量重視でいろいろな意見を総合し、調整すると全員「レッド・ツェッペリンならまあイイか」そんな感じでした。2年くらいは続いたかな。お互いの趣味は異なっていたけれど、音楽的にお互い認め合い、信頼していた。このコピー・バンドが後にプロでやっていく基礎になったと思っています。

─── そして大学進学。進学の目的は?

織田 大学へはバンドを組むメンバーを探しにいっただけです(笑)もうプロになることを決めていたし、授業には顔を出さず、ひたすら音楽サークルをたずね歩きました。そこでのちにプロとして活躍する多くのミュージシャンと出会いました。びっくりするくらい多彩な顔ぶれが当時揃っていてね。

─── 岡野ハジメさん、土方隆行さん、吉田仁さん、古村敏比古さん…etc.それにしても凄いメンバーです。

織田 偶然というにはあまりに凄いメンツがあの時、あの場所に集まってましたね。メジャーデビューしている人がゴロゴロいましたから。

─── コピー・バンド解散後、どういうキッカケでプロの仕事が始まったのでしょうか?

織田 オリジナルの曲作りやメンバー探しに明け暮れていたんですよ。北島だけとはお互いプロとして今後も一緒にやっていこう、という話をしていました。そうこうするうち、北島もプロとして、いろいろな仕事が入ってくるようになっていて、舘ひろしさんのバックでギターを弾く仕事もしていました。その舘さんと一緒に仕事をしていたのが、長戸大幸さんだった。大幸さんは当時舘さんの曲を書いていてね。その縁で北島から紹介され、喫茶店ではじめてお会いしました。大幸さんは本当に情熱的な人で、初対面でいきなり5〜6時間も話をされまして(笑)。当時の俺はプロとしてやっていこうと思っていても、心のなかは自信と不安でぐちゃぐちゃになっていたし、また精神的にも病んでいた頃なんですが、大幸さんのおかげで凄くアッパーな気持ちになれました。まだビーイング、という事務所は影もカタチもない頃です。

─── 最初はどんな仕事でしたか?

織田 日を改めて、スタジオに遊びにいったら、いきなり歌ってみないかということになり、その時コーラスで歌った曲がスピニッヂ・パワーの「ポパイ・ザ・セーラーマン」。

─── えっ、そうだったんですか? そのドーナツ盤、買いました(笑)

織田 おっと、それは、それは(笑)あれは結構ヒットしたものね。そこにコーラスで参加したんですよ。「ポパイ・ザ・セーラーマン」が売れたものだから、その後レコード会社各社からディスコサウンドに英語の歌詞を乗せた企画ものを散々出しまして。大幸さんアレンジで俺が歌って。最近でもあるじゃないですか。いろいろな英米のヒット曲をトランスなり、ユーロビートなりで焼き直すみたいなやつ。そんな感じです。でも結局ヒットしたのは「ポパイ・ザ・セーラーマン」だけでしたが(笑)。その後、もともとレコーディングだけの企画バンドだったスピニッヂ・パワーをちゃんとバンドにしよう、という動きになり、それは俺はやりたい事と少し違うので抜けさせてもらいました。でもあのおかげで最初から作曲や編曲の仕事をいい形で勉強しながら出来ました。

─── 音楽に救われ、音楽が結んだ「縁」がプロへの道を切り拓くキッカケになる…。

織田 そうですね。本当に「縁」を感じるよね。人との出会いもそうだし、もっといえば音楽そのものに出会っていなかったらと思うと、ゾッとするな。先週も話したエルトン・ジョンに救われた話もそうだし、どんどん閉鎖的で内向的になっていった時代もあったけど、音楽を続けることで何とか人と関わり、刺激を受け、さまざまな経験を積むことが出来た。音楽を作ることで自分自身が救われ続けたし、それが多くの人に聞いてもらうことによって、今度は誰かの心の救いになることもできたかもしれない。歌謡曲やポップスが音楽として成立しているというのは、最終的に人の耳にどれだけ届いて、そして人の心の救いや励ましになったり、時に傷ついた心を慰めたり、癒しにもなる…、人に届く、という事で初めて意味が生まれる、と思います。

─── 味わい深いイイお話です…。かくして織田さんの本格プロデビューとなるわけですが、今週はタイトル通り「プロデビュー前夜」までということで…(笑)。最新アルバム「One Night」発表後初のライブも近づいてきました。ますます忙しくなる織田さんですが、来週もよろしくお願いします。

織田 了解です。リハーサルや練習もいよいよ佳境に入ってきました。読者の皆さん、是非ライブでお会いしましょう。

─── 織田哲郎LIVE2007[One Night Stand]の日程、お問い合わせ先は以下の通りです。またロングインタビュー第8回、来週は6月13日(水)夜、更新予定です。どうぞお楽しみに!

日時 場所 お問い合わせ先 発売開始日
6月28日(木) 大阪 バナナホール サウンドクリエイター TEL:06-6357-4400 発売中
6月29日(金) 名古屋 ボトムライン サンデーフォーク TEL:052-320-9100 発売中
7月6日(金) 東京 SHIBUYA AX ディスクガレージ TEL:03-5436-9600 6月9日(土)

profile: 織田哲郎
<Tetsuro Oda> シンガーソングライター/プロデューサー 1958年3月11日生まれ。東京都出身。

中学時代をロンドンで過ごし、15歳で帰国。高校時代にバンドを組みエレキギターを弾きはじめ、同時にオリジナル曲の創作をはじめる。1979年にギタリストの北島健二(現FENCE OF DEFENSE、PEARL)らと共にプロデュースユニットWHYを結成し、アルバム『WHY』でデビュー。それと並行し、プロデュース業も開始する。そして1983年にアルバム『VOICES』でソロデビュー。1986年、TUBEに提供した『シーズン・イン・ザ・サン』が大ヒットし、1990年には B.B.クイーンズ『おどるポンポコリン』で日本レコード大賞を受賞。1992年には自身のシングル『いつまでも変わらぬ愛を』がミリオンセラーに。 1993年、オリコンチャート・ベストセラー作家部門において、12,404,990枚という史上最高のセールスで1位を獲得。以後、相川七瀬等を中心に様々なアーティストのプロデュースを手掛ける。日本音楽史上歴代作曲家売上ランキング第3位となる4,000万枚超えるセールス(CDシングル・2007 年3月現在オリコン調べ)を記録する日本を代表する作曲家。2007年5月23日(水)自身14年ぶりとなるフルオリジナルアルバム「One Night」をユニバーサルミュージック(株)より発表。

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