─── いよいよ第10回を迎えたロングインタビュー。今週はまず1985年以降、織田さんがソングライターとして世間の注目を集めることになったいくつかの作品、アーティストへの楽曲提供のお話を聞かせて下さい。まずはご自身のアルバム『Night Wave』のオープニング・ナンバーとして収録されている「Baby Rose」をマッチこと近藤真彦さんがカバーされますが、そのお話からお願いします。
織田 その前に彼のアルバムの中で作曲の仕事を数曲引き受けていたんです。たぶんそんな縁で俺の『Night Wave』をマッチが耳にしたんじゃないかな。そうしたら気に入って、よく聴いていてくれたようですね。その中から「Baby Rose」を彼がコンサートでいつも歌ってくれて、観客の評判も良いのでシングルとして出したい、という電話をもらいました。
─── アイドルとして人気絶頂、スター街道驀進中の近藤真彦さんからのオファーですね。
織田 そんなこともあるんだ、とまず思った(笑)でも素直にうれしかったよ。それで、じゃあということで、マッチが歌うためにバック・トラックをレコーディングして、すぐに渡して、彼がそれにあわせて歌って、完成しました。自分が歌うために作った曲を他のアーティストに提供するというパターンは異例で、ちょっと不思議な感覚でした。1985年『Night Wave』を発表した1年後のことです。
─── 同じ頃TUBEに提供した夏の名曲「シーズン・イン・ザ・サン」が生まれます。
織田 まず大幸さんから夏と海、というテーマだけを与えられたところからスタートしました。ところが当時の俺はビーチ・リゾートとは全く無縁の生活を送っていたもので(爆笑)そもそも10代から俺の夏には大勢で海に出掛けて、ワイワイ騒ぐなんてことはまず有り得なかったもの。音楽をやる以外はかなり閉鎖的かつ退廃的な生活をしていたし、十代の夏で思い出すシーンといえば、渋谷の薄暗いロック喫茶でアイス・コーヒー飲んでいる図?(苦笑)でも本当は羨ましかったんだよね(笑)。まあ怨念とまでは言わないけど、コンプレックスはあったよ(苦笑)俺の中で膨らんでいた夏を楽しむという健全なイメージを最大限にして、作曲したのが「シーズン・イン・ザ・サン」です。
─── 織田さんの出世作といっても良いのでは?
織田 世間から一気に注目される作品になったよね。でもそれは当然、俺一人の力ではないよ。あの時はTUBEのメンバーはもちろん、事務所関係者、制作やプロモーションに関わった人すべての情熱が渦のようになってどんどん大きくなっていった。それが結果に確実に結びついていって、ジワリジワリとチャートを駆け上がっていった。その時の達成感や喜びは大きかったなぁ。幸せだよね。TUBEのメンバーも最初は音楽番組でベストテンに入ったばかりの頃、Tシャツにジーンズでテレビ局行って、守衛さんに入れてもらえなかったような時代もあった(笑)いろいろなお互いの苦労も知っているし、俺自身もTUBEに関わった時間や情熱を考えると、やっぱり貴重な時間を共に過ごした戦友だな、と思う。彼らミュージシャンとしても一所懸命に向上し続けて、すごくいいバンドになったし。
─── その後も夏の定番として今も多くの人に愛される名曲「サマー・ドリーム」や「ビーチタイム」など織田さんがTUBEに提供された楽曲も次々と大ヒット、TUBEも一気にスターダムに。やがてアルバムもミリオンセラーを記録するスーパーバンドに成長していきます。TUBEの大ヒットと同じ頃映画「ビーバップハイスクール」で当時人気沸騰の清水宏次朗さんの「$1,000,000Night(100万ドルナイト)」というアルバムも手掛けていますね。
織田 ツッパリ高校生のように、仲間とつるんで集団で何かをするということも俺の青春時代には無かったことなんで、これもある意味俺にとっては羨ましい世界でもあった。何しろ悪さする時も団体行動が苦手で、一人だったから(苦笑)清水宏次朗くんについてはジャパニーズ青春R&R[注1]といった曲想でアルバムをまとめてみました。思うに当時、作曲家やアレンジャーで活躍していた人はやはりJAZZやクラシック畑の人が多かったんですよ。ロック的な音楽の需要は増えたけれどロックが得意なプロデューサーはあまりいない、という。そういう時代背景も手伝って、注文も増え、宏次朗くんやTUBEのようにベストテンを狙えるプロジェクトにも次々と参加させてもらえた「運」に恵まれ出した時期でもあります。
[編集部注:R&R=ロックン・ロールの略]
─── さらにさまざまな出会いがあり、プロとしての輝かしいキャリアを積むことになりますが、改めて作曲家、アレンジャーとしての織田さんにお伺いします。メロディーやアレンジ(編曲)のアイディアって、どんな時に浮かんでくるものですか?
織田 よく聞かれる質問のひとつだけれど、それはもういろいろですよ。ギターを持っていて、自然と出来上がることもあるし、それはピアノやそれ以外の楽器の前でもそうだし。もちろん楽器を前にウンウン唸りながら、何も出てこない時もある。逆にお風呂場や朝のトイレタイムで突然浮かんでくることもあるし。夢を壊すから、どの曲とは言わないけど(笑)。街を歩いている時に突然浮かんでくることもあります。いまでも鮮明に覚えているのが、渚のオールスターズというユニットでやった「BE MY VENUS」誕生の時です。渋谷の246の途中で、一人で歩いている時に、Aメロからツルッと浮かんできてね。スムーズに、ほぼ完璧な形で浮かんできたんですよ。
─── その時はどうされましたか?
織田 今と違って携帯電話なんてものはなかったし、その時は録音機材も筆記用具も持っていなかったので、あわてて渋谷ハチ公前の公衆電話に並んで、ずっと♪フンフフフフン♪って口ずさみながら、順番を待っていました(笑)。かなりアブナイ(笑)。ようやく自分の番になって、自宅の留守番電話に浮かんできたメロディーを必死に鼻歌で吹き込んだなぁ。
─── 失敗談はありますか?
織田 もちろん、その正反対のこともありますよ。突然良いメロディーやアレンジのアイディアが街中で浮かんできて、口ずさんで忘れないようにしていたら、途中でパチンコ屋さんから大音量で軍艦マーチが流れてきて、ものの見事に吹っ飛んだこともあります(笑)。普段冷静な俺も、さすがにあの時は「ぎゃぁああー」って叫びたくなった(爆笑)。それ以来、なるべく録音出来るものを持って歩くように心掛けています。いろいろ便利なものが出来たしね。そうは言ってもデジタルものは信用しちゃいけないよ。あいつらは操作を間違えたり、水に落としたりすると一瞬にして全部消えてしまう(苦笑)。そういう苦い経験もたくさんあったので、結局一番頼りになるのはやはりカセットテレコです(笑)
─── デジタル機器はそういう怖さが常につきまとうので、そのお話、よく分かります(苦笑)。ところで、以前織田さんはご自身の公式サイト[DIARY]のなかで、創作は素潜りに似ているとおっしゃっていましたが…
織田 6年くらい前に今回の「One Night」の方向性が見え始めてきたころに書いたよね。創作ってね、とても孤独な作業で、たとえていうなら、素潜りに似ていると思います。素潜りって、息が続く限りは潜っていられるでしょう。長く潜ることが出来れば、深海にはいろいろな光景が広がっているし、珍しい魚にも出会える。息が続かなかったり、簡単に諦めてしまったり、すぐに海上に出てしまうとそういう光景には出会えない。年齢を重ねるとやはり昔より息が続かなくなってくるけれど、そのかわり漁のおいしいポイントを多く知っているので、闇雲にウロウロする無駄は省けるようになる。
─── やはり「楽しむ」からこそ、集中できるということでしょうか?
織田 それが集中力の源泉ですね。何事も嫌々やっていると幸運は逃げていってしまう。どんなことでも一緒だよ、きっと。楽しんでやらなくちゃね。
─── 楽しむというと誤解する人も多い気がします。
織田 楽しむということと、楽(ラク)をするということを混同しがちだからだろうね。文字面は一緒だけど、意味は根本的に違うよね。自分が楽しいと思う状況にしようとすると楽じゃないことがドンドン増えていく(笑)。逆にラクをしていると、徐々に楽しくない状況になっていく。何についてもそうだと思うけど、ストイックに真剣にやるから楽しめるものでしょう。それは失敗しながら、ずいぶんたくさん学習したなぁ、俺(笑)。世の中で今の仕事が楽しくないと考えている人がいたら、冷静に自分を見つめて、「ラクしていない?」と自問して、もっと今の自分に何が出来るか、何が足りないか? どうすれば上手くいくかを真剣に考えて、目の前の仕事に取り組んでみたらどうでしょう。そうすると毎日の仕事が確実に楽しくなるはずですよ。
─── 音楽家としてのキャリアの長い織田さんからみて、ミュージシャンとして成長する人、志半ばで消えていく人、その違いは何でしょうか?
織田 物事が上手くいかないことを人のせいにしたり、他人の悪口を言ったり、長い目で見て、そういう人は成功していないような気がします。これはどんな職業でも一緒なのかな。失敗の原因を分析すると、素直に考えれば、どこが悪かったか、そんな原因なんて自分の中に腐るほど見つけられるものでしょう。そういう時は自己嫌悪でグッタリするくらい反省した方がイイ。そうすれば学習できるじゃないですか。俺は自分のことを学習能力が高いとは決して思っていないけど、それでも何かが上手くいかないときにはそれは自分のなかに原因があると考えて、原因を分析して、なんとか自己改善につなげるように心がけたい、とは思っています。そうしないともったいない。不思議なもので愚痴を周囲に撒き散らすと、いつの間にか不幸を呼び込んでしまう。それでは悪意は増幅するし、周囲に悪意の連鎖を起こしやすくなる。愚痴ばっかり言いながら、幸せになった人はいないよ、きっと。何事も常に自己責任だと思っていれば、スッキリと覚悟も決まりやすいんじゃないかな。
─── 多くの人はその覚悟が決まらず、まず現状打破のための「一歩」が踏み出せないと悩んでいるかもしれません。迷いや困難な状況にある読者のためにぜひアドバイスをお願いしたいのですが。
織田 まずは失敗を恐れないことでしょうね。失敗から学ぶことの方がはるかに多いし、失敗したからといって、思っているほど取り返しのつかない状況を招くわけでもないと思います。失敗と成功を繰り返し、だんだんポイントがつかめるようになる。最初から上手くやろうとしないで、ドンドン挑戦してみるといいんじゃないでしょうか。何事も一人の熱から始まる、と思います。そうするとそれに共鳴してくれる情熱の渦が出来てくる。自分がいいと思える事ならしぶとく、継続する事は大切ですね。案外どんな派手な結果も地道な積み重ねだけという気がします。様々な人の、たった一人の情熱からはじまった渦が想像も出来ないほど大きな輪になっていく過程に、何度も立ち会えたのは幸運でしたね。それは一人の歌手になりたい、という想いからであったり、こんな音楽を人に伝えたい、であったり。そこでその一人が一歩踏み出さなければ何も始まらなかった。でもその一歩がどんどん人を巻き込んでいくうちに、信じられないほど大きな情熱の輪が出来上がっていたりするんです。
─── 今のお話で勇気が湧いてきた方も多いでしょう。数多くの大ヒットの現場に身を置かれた織田さんならではの貴重な教訓です。成功と失敗、そのいずれからも学ぶことができる、示唆に富んだアドバイスです。ただ、ともすると、大ヒットや成功体験からは「驕り」が、失敗が続くと「負け癖」が身についてしまうような気もしますが。
織田 確かに失敗が続くと「またか?」という不安が大きくなって、いわゆる「負け癖」がついた状態になりやすいけど、自分の中で成長できている、と思えるなら、あとはどこかで必ずうまくいくタイミングがある、と信じるしかないですね。ただ同じ失敗を繰り返しているようなら、何かを基本的に間違えてるかもしれない。その場合、もう一度最初に戻って、課題を整理してみるしかないでしょう。成功体験ってのも意外にやっかいだよね。一度うまくいくとついそれに固執しがちじゃない。同じパターンでずっとうまくなんていかないのに。常に確実な「成功の方程式」なんてものはないですから。失敗にも成功にも囚われず、成長の糧にしていく、という事が出来るといいんですけどね。俺もいつも、あれれ?と思って、最初に戻って整理してばかりいます。気がつけば成功にも失敗にもすぐ囚われているし。でも今回のアルバム『One Night』の中の『明日へ』という曲の歌詞でも書いたんですが、1ミリずつでも進んでいればいいんじゃないでしょうか。結局のところ、「あきらめない」というしぶとさだけが自分や状況を変えていけるんだ、と思います。
─── こころに深く染みるお話です。本当にありがとうございます。さて、そしていよいよ最もガムシャラに働いたという伝説の1987年以降へと突入してまいりたいところですが、今週もそろそろ時間となりました。このインタビューもついに第10回目、当初の予定では最終回です。ですが、まだまだお話を伺いたいと思います。そこで、織田さん、ロングインタビューの延長をお願いできますか?
織田 了解! まずは皆さん明日からのライブツアーでお会いしましょう。 その後しばし休養させていただき(笑)、再開しましょう。
─── それではツアー終了後、しばらくお時間をいただいて、パワーアップして、この連載も再開したいと思います。8月8日(水)夜、再開の予定です。それでは読者の皆さん、明日から始まる織田哲郎LIVE2007[One Night Stand]をお楽しみに! 最高のステージが待っています。当日券など詳しいお問合せ先は以下の通りです。
日時 |
場所 |
お問い合わせ先 |
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6月28日(木) |
大阪 バナナホール |
サウンドクリエイター TEL:06-6357-4400 |
好評発売中 |
6月29日(金) |
名古屋 ボトムライン |
サンデーフォーク TEL:052-320-9100 |
好評発売中 |
7月6日(金) |
東京 SHIBUYA AX |
ディスクガレージ TEL:03-5436-9600 |
好評発売中 |
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