─── 前回は1995年11月相川七瀬さんのデビュー前後のお話を伺いました。今回は翌1996年、織田さんご自身の音楽活動を振り返ってみたいと思います。この年はアトランタ五輪が開催され、日本中がO-157騒動で揺れた一年でした。まず1996年に全国30ヵ所で行ったアコースティック・ライブツアー「行きましょう、どこへでも」について、お聞かせ下さい。
織田 俺が元々各地をフラフラと旅するのが好きで、この頃も忙しいとはいえ、相変わらず一人でフラフラしていたんですよ。どうせ一人でフラフラするのなら、ギター一本持ってライブハウスを回ってみようかなって、思ったんです。
─── その時のパートナーは?
織田 こういうことをやるんなら、古村敏比古しかいないだろうと思って、彼を引きずり込んでしまいました(笑)。
─── 相川七瀬さんの記録的大ヒット、BA-JIのデビューアルバム「バジの素」プロデュース、1996年はDEEN、FIELD OF VIEW、ZARDをはじめ、さまざまなアーティストへの楽曲提供があり、音楽バブル絶頂ともいえる時代のど真ん中に織田さんは身を置かれていました。それにも関わらず、敢えてギター一本持って、全国を回られたのは何故ですか?
織田 前回も話したけれど、どうも音楽業界がバブルに踊ってるような違和感があってね。やれ100万枚だ、150万枚だ、というようにセールスの枚数やそれに伴って巻き起こるさまざまな現象ばかりに目を奪われて、これってヤバイんじゃないかな、と感じていたんです。明らかに異常だったでしょう、この時代の音楽業界は。以前このインタビューでも「波」に例えた話をしたけれど、これに振り回されてしまったらいけないな、と。俺がなぜ音楽を始めたのか? その原点に返ってみようと考えたんです。
─── 「原点」、そのあたりをもう少し詳しくお聞かせ願えますか?
織田 曲やアーティストを評価する時に人気があるとかないとか、ヒットしたとかしないとか、尺度としてわかりやすい「数字」にばかり目を奪われがちです。しかもその物差しは一人歩きしやすいよね。植物に例えていうなら「花」の部分にしか目が行かないようなものだと思います。特に音楽バブルと呼ばれるこの時期はごく表面的な部分ばかりがクローズアップされて、音楽の根っ子にあたる部分が忘れ去られがちだったような気がします。きちんと弾き語りで人の前で歌う、歌を伝えるという原点に返らないと立ち枯れてしまうなって、俺のなかにはそんな危機感が強くあったんです。歌を聞いてくれる人がいる。その人たちにしっかり歌を届けにいく。そのことで俺自身の音楽の根っ子にあたる部分にも水を遣りにいったと。根や茎が丈夫ならば、「花」はまた必ず咲く。そう考えたからです。
─── 示唆に富んだ良いお話です。全国30ヵ所というとかなりの数ですが。
織田 県庁所在地を除くという条件で、会場を募集したんです。一応ライブハウスという名目があるところなら、「行きましょう、どこへでも」ってね。
─── 県庁所在地を除くということになると、大きな会場(ハコ)やライブハウス自体、数が少ないのでは? どんなところで演奏をしたのでしょうか?
織田 いろいろなところから声を掛けていただきました。実際行ってみると面白いハコがいっぱいあったよ(笑)。どうみても、ここは「食堂」だよね?とか、普通の「スナック」だよね?とか(笑)、楽屋も呼んでくれた人の家の二階だったり、やる方も見る方もものすごく距離が近かったり。古村のサックスとお客さんの顔との距離が数十センチなんてこともあった(笑)。でもホント楽しかった。相川のデビューアルバムが270万枚の大ヒットという年に、全国30ヵ所、こんな旅をする。同時並行でこんな対照的な事がやれたなんて、面白いよね。
─── 1996年の楽曲提供リストを振り返ると、DEEN「ひとりじゃない」「素顔で笑っていたい」FIELD OF VIEW「DAN DAN 心魅かれてく」「Dreams」、BA-JI「青い風」もこの年です。
織田 「DAN DAN 心魅かれてく」はポップスの王道をいくような楽曲に仕上がったし、のちに海外版「ドラゴンボール」で何ヶ国語にも翻訳されて流れているのを見た。あれは嬉しかったね。BA-JIの「青い風」もいい曲だったな。プロモーションビデオもすごくいい雰囲気だった。このPVの制作にも関わって、作業はなかなか大変でしたが(笑)いま俺の手元にはないのよ。誰か持っていないかな(笑)
─── この頃からでしょうか、日本の音楽シーンでもプロモーションビデオを効果的に使うアーティストが増えてきました。残念ながらBA-JIの「青い風」のPVは拝見していないのですが、もしファンの方でお持ちの方がいらっしゃれば、ぜひご連絡下さい(笑)。でもBA-JIのメンバーならお持ちかもしれませんね。
織田 BA-JIのメンバーも持っていないんじゃないかな、いろいろネットで検索しても出てこないし、youtubeでも見掛けないよね(笑)。このPVだけに限らず、BA-JIの曲はどれもこれも皆素晴らしく良い出来だったんですよ。良かったら見つけて聴いてみて下さい。
─── さて翌1997年、国内オーディオレコード(CD・オーディオテープを含む)の総生産が4億8070万枚と史上最多となる一年になりました。相川七瀬さんのセカンドアルバム「paradox」もオリコン初登場第1位を連続で獲得し、180万枚を超えるセールスを記録します。この年はグッと楽曲提供の数が減って、ZARD「君に逢いたくなったら…」「風が通り抜ける街へ」「My Baby Grand〜ぬくもりが欲しくて」の3曲のみということになりますが。
織田 とにかく「相川七瀬」に集中した年ですね。音楽作りだけでなく、彼女のアーティスト活動のすべてにとことん関わって、取材原稿や掲載写真もチェックしていたし。この一年のかなりの時間を割いたと思います。それにこの時期は新たに事務所を立ち上げて、その経営の責任という負荷もあって、精神的にしんどいことも増えた。
─── 体調に変化はありましたか?
織田 相川の「Bad Girls」を作っていたあたりから、どんどん精神的にしんどくなってきて、鬱の傾向がはっきり出始めた。現実逃避のために酒を飲むようになったんです。泥酔することも増え、ほとんど酒浸りといっても良いような状態になっていった。本来さっきの話じゃないけど日本でも世界でもフラフラ旅してるのが好きなタチなのに(笑)事務所の経営だ、なんだで苦手なことも多くこなさなければいけないし、ドンドン疲れていった頃です。いま思い出すと当時の風景が歪んでいるよ。抗うつ剤も常用していたし。
─── それでも仕事はし続け、翌1998年には自らレコードレーベル「ZOOTREC」(http://www.zootrec.net/)を立ち上げ、バンド「Don't Look Back」を結成します。
織田 酒浸りでロクに眠りもせずに仕事もする。昼まで飲んで、そのままスタジオへ行くなんてこともしばしばだった。体力があったんだね。その割に「Don't Look Back」では良い曲作っていたと思うし、ツアーもそれなりにやっている。よく演奏していたよね。大したタフさ具合だと思うよ。あんなにシンドかったのに。ある意味ヤケクソだったかもしれない。でもちゃんと今読むと確かに「Don't Look Back」の歌詞は鬱な状態が透けて見えるものばかりだと思うよ。一見音が景気いいから判りにくいけど。
─── 1998年は相川七瀬さんの「crimson」が3作連続オリコン初登場第1位を記録、J-FRIENDS「明日が聴こえる」ZARD「息もできない」などの楽曲提供もありました。特筆すべきは吉田拓郎さんに「Not too late」というスケールの大きな曲を提供されたことではないでしょうか。発表当時とても感動したのを覚えています。まさに名曲だと思いますが。
織田 俺、拓郎さんのことはボーカリストとして大好きだし、このオファーはうれしかったね。「つま恋2006」のライブ、見た?あれ、最高だったでしょう。やっぱり唄にパワーあるわ、拓郎さん。あのライブは本当に良かった。しかも中島みゆきさんが出てきて「永遠の嘘をついてくれ」だものね。たまんなかったな。
─── 2006年9月の「つま恋ライブ」のドキュメンタリーがNHKの衛星放送で数回に分けて放送されていましたね。
織田 そうそう。あれ、たまんなかったでしょう。吉田拓郎さんって詞や曲で評価されることが多いけど、ボーカリストとしても最高だと思うよ。なにしろ声が素晴らしい。拓郎さんはホント色々な意味で、凄いところで戦い続けてきた人だと思うよ。それに永ちゃん(=矢沢永吉さん)にしても、拓郎さんにしても、演歌にも通じる日本人の歌心に新しいスタイルを提示した人だよね。だからこそ、多くの日本人の心を捉えて離さないんだと思う。
─── 吉田拓郎さんの声を通して聞く、数々の名曲には人と人のつながり、ぬくもりがあふれていて、心に素直に響く「唄」の力を感じます。
織田 しかも「拓郎さん」って、多くの人から尊敬を集める対象でありながら、いくつになっても常にみんなに可愛がられるような愛すべきキャラクターだよね。生まれついてのスターなんだよ、拓郎さんは。
─── 余人をもって変え難い、そんな感じがします。まさに大スターの存在感、力とはこういうことなのでしょうね。織田さんが思わず熱く語られた吉田拓郎さんの話を今回の結びにしようと思います。今年は織田さんソロデビュー25周年、今年の織田さんの活動に注目している方も多いことと思います。最後に今年の抱負をお聞かせ下さい。
織田 今年はソロデビュー25周年なので、なんとしてもアルバムをリリースするつもりです。なかなかみんな信じてくれないけど。俺も含めて(笑)
─── ありがとうございます。記念すべきソロデビュー25周年にオリジナルアルバム。これがなにより楽しみです。期待しています。
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