特集
『そんなに読んで、どうするの?』 刊行記念対談
豊崎由美×
第2回 書店で本に呼ばれるという感覚
記事一覧
  第1回 トヨザキ書評は作品の写し鏡!?
第2回 書店で本に呼ばれるという感覚
  第3回 書評に自分のことなんて書かない
  第4回 2005年オススメの小説は?
書籍DATA
『そんなに読んで、どうするの?−縦横無尽のブックガイド−』

そんなに読んで、どうするの?
縦横無尽のブックガイド
四六判・並製・カバー装・560ページ
ISBN4-7572-1196-1
定価1,680円(本体1600円)
 
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 いま最も多くの読書家からの熱い支持を集める辛口の書評家といえば、“トヨザキ社長”こと豊崎由美をおいてほかにはいない! 

 幅広い膨大な読書量に裏打ちされた批評眼もさることながら、その歯に衣着せぬ物言いが痛快至極! 

 大森望さんとの共著『文学賞メッタ斬り!』や岡野宏文さんとの共著『百年の誤読』で溜飲を下げた人は少なくないはずです。そんなトヨザキ社長の初の書評集が遂に刊行! 

 取り上げた小説は、純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SFなど、ジャンルも国籍も問わない239作品! 

 これまで豊崎さんが様々な雑誌に書いてきた珠玉の書評を集め、もう徹頭徹尾、小説愛に溢れた1冊です。

 しかも今回は、トヨザキ社長の原稿に某大作家先生が激怒し、某雑誌の編集部員が総入れ替えさせられたという、伝説の辛口書評「読者諸君!アホ面こいてベストセラーなんか読んでる場合?(抄)」を特別袋綴じ掲載! それだけでも一読の価値アリです! 

 トヨザキ社長のレコメンドする小説に出会い、泣いちゃってください、笑っちゃってください、打ちのめされちゃってください!
 
永江 『そんなに読んで、どうするの?』には239本の書評を選んで掲載していますが、その母体となった原稿は何本くらいあったんですか?
豊崎 まず『CREA』や『本の雑誌』で連載していたような、複数の作品を1本の原稿で紹介する書評は全部はずしたんですね。自分としては『CREA』時代のものとか愛着があるし載せたかったんですけど、それをやったら上下巻になっちゃう。
永江 じゃあ、この本が売れたら、そっちも……。
豊崎 作ってもらえるかもしれません。で、1冊の本を取り上げた書評の中でも、ここに載っているのは全体の5分の1ぐらいですね。削りに削りました。
永江 どういう基準で選んだんですか?
豊崎 お薦めでも強弱ってありますよね。ですから、なかでもとりわけお薦めしたい小説を中心に載せたつもりです。私が紹介しているのは海外小説のほうが多いんですよ。だから最初に選んだときは、海外小説の比率がもっと高かった。でも、「日本の読者って海外小説を好きな人が少ないので、できれば海外を削ってほしい」と担当編集者に頼まれて、泣く泣く削った原稿は数知れずです。
永江 日ごろ書いた原稿は、どういうふうに整理しているんですか?
豊崎 基本的には切ってとっておかなきゃとは思っているんですけど、雑誌や書籍を合わせると、毎日、凄まじい量の郵便物が来るので、なかなかちゃんとできないんですよ。几帳面な人だったら届いた時点で整理すれば済むことなのかもしれないですけど、楽しいことに流される人間なもので、そんなことする暇があったら野球観ながら酒呑んじゃう(笑)。
永江 では、著者近影に写っているあの部屋、今はもう誰にも見せられない状態ですか。
豊崎 永江さんは認めがたいと思いますけど、私の中じゃ超きれいなんですよ、著者近影の写真を撮ったころの状態は。だって、まだ引っ越したばっかりだったんですから。「汚さも中くらいなりおらが春」って感じでしたねえ、あのころは。今、うちのリビングの真ん中には、本の富士山があります。半年くらい前に出た本がどうしても必要になることってありますよね。そんなとき、「ああ、富士山のあの中腹奥あたりにあるんだよなぁ」とわかってはいるんですけど、中から取り出す勇気がどうしても出ない。山、崩れちゃいますから、そんな暴挙に出たら(笑)。
永江 発掘しなきゃいけない。
豊崎 だから、新しく買い直す、と。ただでさえ本が多いのに、同じ本が家の中に3冊も存在するという不条理。まさに嘔吐ものです。富士山を超えて、おそらく1年後にはアルプス山脈が形成される予定です。私の原稿の内容がとっちらかっているのは、家の中がこんなふうにしっちゃかめっちゃかだからなんですかねー。論理的な文章が書ける人って、たとえば永江さんみたいに家の中同様、頭の中もきれいに整理されてるって印象がありますもん。
永江 フィクションの書評しか書かないんですか?
豊崎 評論なんかは自分の勉強のために読んではいるんですけど、書評で取り上げることはめったにありませんね。私ぐらいは小説、特に海外小説に的を絞って紹介してあげるのが、読者のためにも出版社のためにも書店のためにもなるのかなと勝手に思ってて。
永江 書評を書くときは、自分で本を選ばれるんですか? 編集者からこの本を書評してくれと頼まれる場合は受けますか?
豊崎 連載はすべて自由に選んでいいことになっています。ときどき依頼がくる新聞や週刊誌の仕事は、「この本を書評してほしい」という提示型ですね。その際は「いや、その人はあんまり……」と言って断る場合もあるし、「その作家だったらずっと好きなので、大丈夫だと思います」と引き受ける場合もある。だけど、9割は自分で本を選んで書いていると思います。
永江 この本の並びを見ると、豊崎さんの選び方の匂いというのが確実にあるんですが、どこでどうやって選んでいるんでしょう。
豊崎 どうなんですかね。インタビューとかで、「面白い本ってどうやって探せばいいんですか」って聞かれたときは、「海外文学だったら訳者買いがいいですよ」と答えるようにしてますけど。面白いと思った海外文学が1冊があって、それが例えば柴田元幸訳だったら、柴田さんが訳した作品を全部読めばいい。柴田さんはお抱え訳者じゃなくて、訳す作品を自分で選んでる人だから、柴田訳の作品が面白かったということは、柴田さんとたぶん小説の趣味が似てると思うんですよ。柴田元幸鴻巣友季子岸本佐知子柳下毅一郎大森望青木純子といった、訳者として素晴らしいだけでなく、本のメキキストとしても優れた人の仕事を選んで読んでいれば、まあ間違いないんじゃないでしょうか。あとは、書店に通うしかないですよね。本が好きな人って、子供のころから書店が大好きだと思うんです。本屋さんに入ったら1時間ぐらいあっという間にたっちゃう。自分のお気に入りの書店を見つけたら通いつめて、どの棚のどこに何があるかって内容を自分の家の書棚みたいに把握してしまう。すると、脳内に本の見取り図みたいのができてくる。で、いっぱい本を読み続けていると、やがて書店で“本に呼ばれる”という感覚が身につくんです。まったく名前も聞いたこともない、今まで読んだこともない海外の作家に呼ばれて、で、買って読んでみたら大当たり、そういう経験が増えていくんです。
永江 それは動物的な勘みたいなものですね。
豊崎 本好きな人だったら、みんな持ってる勘なんでしょうね。
永江 丸谷才一先生みたいに、普段からイギリスの書評紙に目を配っておいて、話題になった本が翻訳されたら買うとかということはしないんですか?
豊崎 全然。英語が読めないんですよ。私がどうしてこんなに海外文学を中心に紹介しているかというと、実は自分のためなんですねー。だって、訳してくれなかったら読めないじゃないですか、語学に不自由なんですから。訳してもらうにはどうしたらいいかというと、売れなきゃダメですよね。売れなかったら、どこの出版社も翻訳してくれない。自分が読みたいという一心で海外文学を応援しているというわけです。あと、なるべくほかの人が書いた書評を読まないようにはしていますね。丸谷さんの書評も書評集としてまとまったときには読みますが、新聞や雑誌に掲載されているものは読まない。そもそも私、雑誌って一切読まないんですよ。文芸誌は読みますが、女性誌も週刊誌も掲載誌として毎週毎月たくさん送ってもらいながら、開いたことがありません。小説のこと以外はなぁーんにも知らない厚顔無恥無知人間。だから、そもそも誰がどこに書いているのか自体をあまり知らないんです。
永江 ということは、本についての情報はもっぱら本屋で?
豊崎 忙しいときはしょうがないのでアマゾンとかで買ったりもします。でも、やっぱり“書棚のリアリティー”というものを把握できなくなったら、ブックレビューをやる人間としてダメだと思うんです。今どういう本が書店の平台に並んでいるのか、××という作家は書店でどのような扱いを受けているのかなどなどを知っておくことが、書評家にとって大切な仕事のうちなのではないかと。

作品そのものが際立たなきゃダメ
永江 以前、豊崎さんにお話を伺ったとき、「自分は読むスピードは決して速くない」とおっしゃってましたが、どうやって読んでますか?
豊崎 ……目で(真顔で)。
永江 じゃなくて、例えば寝床でとか。
豊崎 寝っ転がって読むのがいちばん好きですね。
永江 線を引きながらとか、付箋を立てながらとか。
豊崎 付箋はつけます。コクヨのいちばん小さい付箋を縦に細く切ってから上の部分も切って、さらに小さくして、見返しとかに貼っておくんです。それで、いいところがあったら、ペトン、ペトンと貼っていく。付箋が貼られた本を上から見ると、大変美しいですよ。家も汚いし、お風呂も嫌いだし、本当に大ざっぱな性格なんですけど、そういう変なとこには細かいんですよね。本は結構きれいに読むほうだと思います。
永江 じゃあ、線は引かない?
豊崎 線を引くよりカギ括弧でくくる派ですけど。
永江 ガーッて引く感じじゃないんですね。
豊崎 真っ直ぐな線が引けないんですよ。だから汚くなっちゃうんで、線は御法度ですね。誤植を見つけると丸をつけたり。そうそう、最近も誤植を発見しましたよ。
永江 どの本で?
豊崎 山田正紀さんの『マヂック・オペラ』(早川書房)。その前に読んでいたナボコフの『ロリータ』(新潮社)にもひとつだけありました。『ロリータ』の誤植を見つけたときは、嬉しかったあ。訳者の若島正先生の「首を取ったりぃーっ!」という感激(笑)。
永江 著者や訳者が誤植するわけじゃないから。
豊崎 でも、著者だって校正紙読んでるじゃないですか。……あっ、『そんなに読んで、どうするの?』に関しては、誤植があっても私のせいじゃない(笑)。
永江 でしょう。
豊崎 私、あんまり読んでないんですよ。自分の文章を自分でねっとり読み込むのって、なんか気色悪くて(笑)。
永江 私も自分の本は読まない。だから重版のときに「直すところはありますか?」って編集者にいわれるとつらい。
豊崎 じゃあ、基本的に誤植は編集者と校正者が悪いってことで。
永江 自分の文章を読むのって嫌いですか?
豊崎 耐えられないですね。テープ起こしで自分の声を聞くときのような自己嫌悪感がわいてきて。
永江 私もあんまり好きじゃない。自分の原稿読んでも新しい発見ないじゃないですか。当たり前だけど、「こんなこと知ってるよ」って(笑)。
豊崎 でも私、ときどきですけど、以前、自分が書いた原稿を読み返して、「うま〜い」って思うことありますよ。ちょっとウットリしちゃったりして(笑)。ただ、そのくらいうまく書けるのって、10本書いたうちの1本ぐらい。残りの9本はどこか不満なまま出しちゃっている。「これが現時点の力だからしかたない。読む力、書く力がそこまでしかないんだから、たぶんあと2時間書いてたって変わらない」と思って、えいやっとばかりに提出するわけですよ。
永江 書くときは、どういうふうにしています? 例えば、ノートをつけながら、それをもとにして書くとか。
豊崎 付箋を貼っているので、読み終わったら、書く前に付箋のところと、その前後を読み返すんです。簡単におさらいをするってことですね。ライター志望の人によく言うんですけど、仕事が早くて発注がいっぱいくるライターには特長があって、書き出しや構成なんかをいつも考えている。テレビを見ているときでも、CMの間に考えたり。だから、机の前に座ってパソコンを立ち上げたら、あらかた設計図ができていて、すぐに書き出せるようになってるのが理想。私はそれが癖になっています。ある本を書評しようと思ったら、「ここを抜粋したいな」とか「ストーリー紹介はここまでだな」とか「ここが勘所だから、忘れないように触れること」とか、原稿の構成を考えつつ読み進めていくんです。なので、付箋をつけた箇所を読み返しておさらいしたら、ばーっと書き始められる。
永江 実際に書き始めたら、頭で考えていたとおりに展開していきますか?
豊崎 途中で最初に考えた案が牽強付会だなって気づくことがあって、そういうときは頭から書き直すこともありますね。「この論でいくと、私がこう言いたいがためにこの本を利用することになっちゃう。我田引水書評になっちゃう」って気づくと、ちょっとつらいけど、それまでに費やした2時間はなかったことにして、もう1回書き直すということです。ブックレビューというのは、作品そのものを際立たせなきゃダメだと思うんです。もとの本が際立ってなんぼだから、それができないときは書き直さなくちゃいけない。
永江 その本がいいと思って書評を書いていたのに、書いているうちに「実は面白くないかも……」と感じたことってありますか?
豊崎 それはないんですが、「面白い本だから書きやすいだろう」と思っていたら、実は書きにくいということに書いてる最中に気づいて怯えることはよくありますね。自分にとって最高に面白い本より、ちょっとだけ落ちる本のほうが上手に書けたりしませんか。あまりにも好きだと書きにくくなるって、よくあることですよね。
永江 先日『群像』の仕事で、嶽本野ばらの『シシリエンヌ』(新潮社)の批評を書いていたんです。最初に読んだきは結構面白くて、初期の『ミシン』(小学館)や『鱗姫』(小学館)みたいな感じになっていて、いいぞいいぞと思って読んでいたんです。で、その気持ちを書こうと思って原稿を書き始めたら、何かが引っかかる。そこでノートに要点を整理してみたら、嶽本野ばらは『シシリエンヌ』で何ら新しいことをしていないということが、次第に見えてきたんです。新しいことをやってないから、小説としては評価したくないんだけど、でも、魅力はあるし、グッとくる。それはなぜなんだろう、という方法で書き進めて、結局、「洋服のことをちゃんと書いているからだ」という結論になったんですね。で、原稿を書いている途中で思ったんですが、その本のことをより深く知ることができるのはブックレビュアーの特権だなあ、と。単に寝転がって読んでいたら、こういう発見はないですからね。
豊崎 娯楽だけで読んでいる人とは違いますよね。その本がなぜ面白いのか、どこがどう面白いのか、自分がどう読んだのか、ということを明文化していく作業って、脳味噌使いますもんねー。そういうボケ防止につながる作業をさせてもらえるという意味では、いい仕事ですよね。しかもお金ももらえる。
永江 3日やったらやめられませんわ〜(笑)。
豊崎 私はすごく飽きっぽくて、これまでいろんなことに飽きてきたんですけど、本を読むことだけはまだ飽きない。しかも、熱意も衰えない。なんでだろ。不思議だなあ。

つづく


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著者PROFILE
著者近影
豊崎由美 とよざき・ゆみ
1961年生まれ。ライター。『本の雑誌』『GINZA』『ダ・ヴィンチ』『婦人公論』などで書評を執筆。文芸のみならず、演劇、競馬、スポーツ、テレビドラマなど興味はエンターテインメント全般に及び、執筆活動の範囲はきわめて広い。著書にB級スポーツ観戦記『それ行けトヨザキ!!―Number迷コラム傑作選』(文藝春秋)、日本の文学賞を徹底検証して話題となった『文学賞メッタ斬り!』(パルコ出版/大森望との共著)、20世紀の日本のベストセラーを鋭く考察した『百年の誤読』(ぴあ/岡野宏文との共著)などがある。
著者近影
永江朗ながえ・あきら
1958年生まれ。ライター。法政大学文学部哲学科卒業後、西武百貨店系洋書店「ア−ル・ヴィヴァン」を運営するニューアート西武に入社。約7年間勤務した後、『宝島』『別冊宝島』などの編集、ライターを経て、93年よりライター業に専念する。著書に『批評の事情―不良のための論壇案内』(ちくま文庫)、『ベストセラーだけが本である』(筑摩書房)、『平らな時代―おたくな日本のスーパーフラット』(原書房)、『メディア異人列伝』(晶文社)、『話を聞く技術!』(新潮社)などがある。