オルタード・カーボン 特別対談 リチャード・モーガン×田口俊樹
オルタード・カーボン 特別対談 リチャード・モーガン×田口俊樹
 

 

――生い立ちについて教えてください。

  生まれはロンドンだけど、生後間もなくイーストアングリア(イングランド東部地方)に移り、そこで育ったんだ。一番長く住んでいたのはイーストアングリアかな。大学に進学するまで十八年近く住んでいた。まさに田舎そのもの、とてものどかな町だよ。家族でゆっくり生活するにはうってつけだね。一面の平地で特に美しい景観に恵まれているわけではなく、寒さが厳しいのが難だけど。父は洋服の製造業、デリカテッセン、ケルト音楽のミュージック・エージェント、配送バンのドライバーと転々と職を変えた。父親のことはすごく尊敬しているんだ。

  学生時代はケンブリッジで過ごした。言語学を専攻したけど成績はさんざんで。結局一年後に歴史専攻に鞍替えして二年間政治史を学んだ。とても興味深い学問で楽しかったな。もちろん就職にはまったく役に立たなかったけどね。でも当時はすぐに作家になって、デビュー作がベストセラーになって、悠々自適の生活が送れるだろう、なんて甘い夢を見ていたな。

――でも、その夢はほぼ実現したと言えるのでは?

  まあ、そうかな。思ったよりも時間がかかったけれどね。映画化権が売れたおかげで家も買えたし、旅行にもローンを組まずに行けるようになったよ(笑)。

――『オルタード・カーボン』の映画化のエピソードを。

  製作スタッフが製作方針を一新することにしたので、検討期間が十八ヶ月延びることになった。最初に依頼を受けた脚本家がクビになってしまって。プロデューサーはジョエル・シルバー、配給はワーナー・ブラザーズでほぼ決まりのようだが、監督や配役は未定だ。実はついこの間、第三作目にも映画化の打診があって、こちらもワーナー・ブラザーズらしい。プロデューサーはジョエル・シルバーのような大物ではないようだけど。

  (版権契約を交わしても必ずしも映画化されるとは限らないという裏話)
  イギリスのSF作家のマイケル・マーシャル・スミスの『スペアーズ』という作品の版権をスティーブン・スピルバーグが十万ドルで買い取ったけれど、スピルバーグは四年間、毎年一作品ずつ原作の版権を買い続けたすえに、結局『スペアーズ』ではなく『マイノリティ・リポート』の製作に踏み切った、なんて話もあるくらいだから。それにしても「ちょっと違うな。他の作品を当たろう」とか言いながら、結局四作品に十万ドルを支払うなんて信じられないよ。

  『オルタード・カーボン』の版権は十万ドルだけど、これはあくまでも十八ヶ月間の検討期間の手付金で、実際に映画化される場合には五十万ドルという話だった。ただしその場合、十万ドルが前払い金として差し引かれるはずだった。ところが今では、版権の十万ドルとは別に、映画化された暁にはさらに五十万ドル支払うと言ってきているんだ。しかも第三作『マーケット・フォース』にも同様の条件が提示されている。ハリウッドと価格交渉してくれたエージェントのお陰だよ。

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