メッセージ
 
 
JAPAN UNDERGROUND 表紙
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JAPAN UNDERGROUND
 「地下」という言葉を耳にするとなぜか、実家の庭先にあった今は封印されてしまった井戸を思い出す。少年の頃ぼくは飽きもせずに井戸の中を覗いては、母によく「魂が吸われるよ」としかられた。井戸の中は冷えびえとした光がいくつも淡く萌えていた。水面をたえまなく雲が流れてゆく。井戸に放っていた鮒が頭をのぞかせると鏡のような水面に美しい水紋が舞った。

 この世界は一体どこへ通じているのか、未知の世界は確かなイメージをもたらすことなく、甘くせつない幻だけをぼくの心の中に植えつけた。井戸の穴ぐらの、怖く、どこか懐かしい世界から日常の時間の中へもどると、突きはなされたような快い淋しさが襲った。それこそ井戸という洞穴の深みがぼくに与えた最高の贈りものだった。大人になってもその淋しさの中にときおり佇んでいたような気がする。

 撮影で地下に潜るようになって、むき出しの穴ぐらを出て地上にもどるたびに、あの時のとまどうような感情がぼくの中に甦った。大切なのはその意味を知ることだ。

 異界を思わせる地下の森は時間さえ止まってしまったような森閑とした静けさが支配していた。その荒涼とした風景は、孤独な精神のふる里へ帰ったような懐かしく安らぎに充ちた世界でもある。地下世界はぼくたちの心の内側にも確かに存在するけれど、日常とはまた違った秩序の中にあった。その中ではぼくだけがいつも異物だ。地下のその巨大な現実性を目の前に浮上させること、それこそが大事なことだった。

 1994年から7年間、断続的ではあったけれど20世紀に作られた日本各地の地下のライフラインや大深度の研究施設、地下壕の要塞から天然の洞穴までぼくを執拗に潜らせたものは、何にでも大げさに驚いて不思議がる子供のような好奇心だった。

 地下には全体を指し示す地図は存在しない。複雑に重なって伸びているためそれを統合する全体の地図が引けないのだ。そこにはぼくたちの想像を越えた世界があった。何千回もの夜が訪れても、地下は休むことなく黙々と稼働を続けている。そこに見えるのはもうひとつの都市の顔だ。その封印を解いて地中の内蔵の奥深く潜るとき、まるで未知の国を探検する子供のような興奮がぼくを駆り立てる。地下では過去と未来が、始原の闇と人工の世界が、目に見えぬトンネルでひとつに結ばれていた。脈々と続く生の連続性が洞穴全体を覆っていた。

 地下世界がこれからどのように変わろうとも。光り輝く多様な大深度空間が作られようとも、地下の非合理で測り知れない闇の深さだけは消せはしない。ぼくらはみんなそうした闇の中から生まれたのだ。その闇は日常生活の亀裂に突然あらわれては謎のように消えてゆく。アンダーグラウンドには、ぼくの中の広い世界が意識となって投射され裸のままで眠っていた。いま必要なのは、地下世界とそとに世界とのつながりを日常性に見いだし、しっかりと回復させることなのかもしれない。

 最後に、写真集の出版に際して緻密な仕事ぶりで最後まで僕を励まし、忍耐強く見守ってくださったアスペクトの宮崎洋一氏、写真集の出版のきっかけを作り編集にも情熱をそそいで頂いた出版プロデューサーの松浦健一氏、デザイナーの守先正氏にお礼を言いたい。また個人の力だけでは潜れなかった地下施設も多くあった。そのたびにたくさんの編集者の力添えがあったことも忘れはしない。ここに深く感謝する次第です。
2000年6月1日 内山英明


JAPAN UNDERGROUND II 表紙
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JAPAN UNDERGROUND II
 地下に本格的な興味をもったのは1993年、東京の自衛隊市ヶ谷駐屯地の地下壕に潜ったのがきっかけだった。今でも懐かしく思い出す再び巡りあうことのないその姿こそ、こんこんと湧き出る泉のように私のすべての原点であり、出発点だった。

 その年の夏、私は駐屯地の広場にいた。目の前にある士官学校の総監室は1970年、作家三島由紀夫が壮烈な自決を遂げた部屋でもある。三島がテラスから決起を促した広場、その真下に地下壕は眠っていた。子宮のように延びる闇の洞道を抜けると、近衛工兵が露天掘り式で掘った迷宮世界が煌々と輝いていた。

 機能と耐久性だけを考慮して作られた構造物はリアルでむきだしの姿そのものに映ったが、しだいに石棺のような冷たいグロテスクな影は徐々に変化を見せはじめ、いつしか私は巨大な穴ぐらで安眠する蚕の気持ちになり……やがて時間の感覚を失った。長い年月、都市が宿命的に孕んでいるかりそめの世界に惹かれていた私にとって、地下の存在が放出するエーテルは刺激的であった。

 地上に戻ってから、この奇妙な体験を具現化したいという欲望が私の中で広がっていった。それが人工の地下世界を撮影する長い旅の始まりだった。地下が放つオーラを私も尾てい骨の奥でしっかりと感じとりたかったのだ。そして、異界の新たな地平を耕そうとする開拓者がまだ誰ひとりとして出現していなかったことも原動力となった。

 7年を費やす結果になった写真集を3年前に出版した後も、私は夢を見ているように「地図にない森」にとり憑かれていた。まだ何かやり残したことがあるような気がした。以前に増して魅力ある世界を創れるだろうという予感と、この緊張感を持続できるのかという不安を同時に感じてもいた。私は3年を限度と区切った。その結果、ようやくでき上がったのが61箇所の地下世界を巡った2冊目のこの作品である。

 2000年から03年にかけ、胎内世界のような地下古墳や地下要塞、そして鉱山跡、地下深くで神殿のようにそびえ稼動する巨大文明のライフライン、ビッグバンによって放たれた宇宙線の地下巨大観測所や放射線実験場などを巡った。闇の中で神秘的に輝く地下観測所や実験場などの未来施設は、ある意味では人間の叡智が生み落とした壮大な夢の結実、21世紀の「理想宮」かもしれない。日本の地下に網の目のように広がりつつある超現実世界。いずれ、そう遠くない未来、そうした大深度の世界が地下に蔓延するだろう……。今こそ、ヒトが出現した遠い遠い闇の記憶に向かって真摯に耳を澄ますべき時なのだ。人と地下世界との有機的な交わりはそこからしか始まらないのだから。

 私が都心の夜の風景を撮っていた頃、澄み切った空を一心に見ている野良猫と時おり街角で出会った。あれは何を見ていたのだろう。宇宙の闇から発信される、すでに我々の五体からは消えうせた、ある気配を野生の六感で感じとっていたのかもしれない。そう思ったとき私は小さな嫉妬を感じた。地下に潜るとき私はあの猫の目になりきりたかった。そうしたらもっとリアルでシュールな世界の記憶を塗りこめ得ただろう。しかし、その目に近い何かが確かに私の目と重なって世界を見ていたような気もするのだ。

 この一冊に収められた地下世界の写真は全くプライベートな動機から撮影されたものだ。どんな荘厳な世界に潜ったにせよ、すべてはそこが出発点だった。そして私の中で、昔に読んだジュール・ヴェルヌの「地底旅行」の倒錯した、イマジネーション豊かな地下世界がいつも体の底を流れていたことも事実であった。私はその主人公ハンス少年に変身して、現代の「地下の森」を彷徨っていただけかもしれない。

 今回もアスペクト編集長の宮崎洋一さん、モリサキデザインの守先正さんにお世話になった。宮崎さんは何年も前から、この撮り下ろしの完成の時をずっと心待ちにしてくださった一人であった。その変わらぬ友情と叱咤激励に心から感謝したい。

2003年2月6日 内山英明
「JAPAN UNDERGROUND II」より


JAPAN UNDERGROUND III 表紙
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JAPAN UNDERGROUND III
地図にない世界

 地図に載っていない異形の世界が足下深くに存在するならこの目で確かめてみたい。そんな募る思いがきっかけで地下を潜り始めてもう13年が経つ。最初から暗中模索の中で、日本の地下施設の現状を調べ上げてきたが、いまだその<地図にない世界>と格闘を続けている。なぜ、そんなにまでして地下にこだわったのだろう……。

 幼い頃に遊んだ秘密基地への懐かしさからか、繰り返し読んだヴェルヌ的宇宙世界への憧れからか、調査のおかげで地下世界がSF的イリュージョンをもって浮かび上がってきたせいか、それとも日本の地下施設を視覚的に体系化したいという強い野心からか……。そのすべてがきっと動機だったに違いない。そして今、改めて驚きを禁じ得ない。地下世界がこんなにまでもアバンギャルド(前衛的)で革新的な世界であったという事実に。地下は今や文明の中核を成し、未来を暗示し予兆する巨大な装置である。地下から見上げると、地上は地下深くに築かれた広大な“根の国”より、ただひたすら養分を吸い上げて成立している『マトリックス』のような表層的世界に見える。

 地下世界をヒトにたとえるなら“巨大な脳”だ。それは現代文明のもう一つの影の姿でもある。今回、放射線の飛び交う原子力施設や、様々なライフラインを一カ所に束ねて伸びる巨大共同溝、そして今、注目を集めている再生医療の動物実験場や、SF的で近未来的な野菜工場の地下施設を数多く潜ってきたのも、他者の侵入を永い間拒んできた地下世界にこそ新しい時代がストレートに透けて見えるのでは、という思惑があったからだ。

 私は決して忘れないだろう。地下の封印を解いて潜る瞬間の、日常の皮膜の底から立ち昇ってくる詩的で呪術的なあの瞬間を。そこでは時間さえ渇いた川床に水が染み込むように失われていく。そのはるか奥の地底にはケーブルや鉄管がとぐろを巻き、腹わたをひっくり返したように鈍く輝く異世界がある。そんな時は決まって子供の頃、息を呑みながら観た『ミクロの決死圏』の映像が頭をよぎった。体内の宇宙世界を漂流するスリル満点のその映像は、私が潜ってきた倒錯的な地下宇宙を彷彿とさせるに充分な迫力があった。

 私は思い出す。まるで祝祭のあとのようにひっそりと光をまぶしたように輝く鉱山跡を、ダム内部から城砦のようにそびえる空洞のその幾何学的で広大な暗渠を。そんな要塞のような暗い地底より星屑のように光る地上を仰いでいると、地球という惑星に封印されてきた異界の、涯てることのない闇の深さが骨身に染みた。

 地下には決して停滞することのない奔放で澱みのない超然とした空気が常に流れている。様々な構造物の圧倒的な美しさと生命力を目の前にしながら、私は決して色褪せることのない、誰も成し得なかった、新しい時代の物語を紡ぐ気持ちで地下を潜ってきた。地下世界はその神秘に包まれた衣の下で、荒ぶれた時代の狂気を静かに放っていた。これからも人間の欲望が倦むことなく多様化していくかぎり、過去と未来をひとつに融合させながら地下はますます肥大化していくことだろう。

 第3作目もアスペクト編集長、宮崎洋一氏の変わらぬ忍耐のお陰もあって無事(?)撮り下ろすことが出来た。デザイナーは守先正氏、プリンティングディレクターは高柳昇氏といつものメンバーである。個人では撮影が不可能な施設には雑誌『プレジデント』のデスク、桂木栄一氏と『週刊朝日』中村智志氏の協力を仰いだ。最後に現場を影となって案内してくださった施設の方々に深く感謝するしだいです。

2005年10月13日 内山英明
「JAPAN UNDERGROUND III」より


東京デーモン 表紙
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東京デーモン
 子供の頃、夜の世界は母親の懐のように広く柔らかく、深々として甘美だった。晴れた日には町のどこからでも星々が美しく輝くのが見えた。しかし私は感じていた。その柔らかな夜の層を剥がすと、奥には暗黒の深淵が巨大な口を覗かせて息づいていることを。世界は優しさと恐怖で充ちていた。性への目覚めと同様に死は、多感な少年の中に終わりのない物語のようにそっと忍び込んでいた。その頃の夜は本当にしみじみと暗かった。

 闇の底深く沈みゆくTOKYOの街の耽美(たんび)な輝きは心までも空虚にさせる。夜の帳(とばり)が下り、まだ人々の体温が残る街の迷路を長い時間歩いていると、体から意識だけが剥がれて夜の街を浮遊していくような法悦と不安が交錯する。街路の背後ではハリボテのように屹立するメガシティの強烈でSF的な明かりが闇に沈みゆく下界を鈍く照らしだす。その光景は昼間の圧迫感や呪縛から見る者を解き放つに充分な魔性の輝きで溢れていた。そんなときだ。吹き渡る一陣の風とともに物狂いするような爽快な淋しさが突然、胸を突き上げてくるのは……。夜の中にポッカリとした裂け目が広がる。裂け目から幻のように現出するもうひとつのTOKYOの姿、その一瞬の『刻(とき)』の姿が私は好きだ。その『刻』は場所を選ばず夜の街に魔法のごとく出現する。それは都心であったり、高層ビルの屋上であったり、人気(ひとけ)のない公園や暗い海辺の埋立地であったりした。過去と現在がひとつに溶け合った奇妙な近未来の風景は、裸のままで眠っていた私の中の荒涼とした無意識の世界を突き破り揺り動かしてくれる。

――過去はいつも新しく、未来は常に懐かしい。――このフレーズは闇と光が交錯する悪夢のように美しいTOKYOの夜の魔窟にこそふさわしい。この魔窟からは乾いた成層圏の懐かしい匂いがする。闇の街にはきっと時空をつなぐ通底器がひっそりと隠されているのだ。暗い闇が街に滑り込む時刻、決まって訪れるとめどない喪失感……。その失われた故郷への道をたった一人で辿っているような深い孤独こそ、私をTOKYOの夜の世界に駆り立てる大きな原動力となっていた。

 古代、都市国家(ポリス)の時代より歴史上に浮かんでは消えていったさまざまな都市と同様に、TOKYOも悠久の歴史の中に鮮やかに咲いた一瞬の徒(あだ)花(ばな)にすぎない。絶えざる細胞の死と誕生によって生まれ変わる私たちの命と、絶えざる変転を宿命的に内包する都市の姿は、そのはかなさ(・・・・)と相まってどこか似ている。

 近代の歴史は言い換えれば社会から闇(デーモン)を追放しようとした歴史であった。しかし人間の心の中からも世界からも闇を追い払うことはできなかった。私たちの体に得体の知れぬもののけ(・・・・)が棲む限り、都市はその魔性の輝きを失うことは決してないだろう。都市とは時空を超えて輝く《迷宮》であり、決して辿り着くことのできない《城》でもあり、そして私たちを引き寄せずにはおかない強大な《磁場》でもある。   

 TOKYOの夜は私が永年抱き続けてきたテーマのひとつだった。このテーマもアスペクト編集長・宮崎洋一氏のいつもの無言の激励と圧力がなかったら未完成だったかもしれない。アートディレクターの前橋隆道氏にも本書の制作で大変お世話になった。謹んで御礼を述べたい。

2005年2月1日 内山英明
「東京デーモン」より


東京エデン 表紙
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東京エデン
TOKYOは絶えず私を挑発する
Tokyo never ceases to excite me.


 光の中の都市の谷間を歩くとき、地下世界から突如光の眩しい地上へと足を踏み入れるとき、そこにあるはずの見慣れた街の風景はそこにはなく、白い光の渦巻く異形の光景だけが渺々として広がっている。そんな白日夢にも似た体験を、きっと誰もが持っているに違いない。この作品集はそんなTOKYOの、日常と日現実世界の狭間より立ち登る光景を撮ったものであるが、その一見イノセントな輝きと驚きに充ちた感覚世界は、私にとっては見ることへの日々の飽くなき訓練によって脳の奥に無意識に組み込まれている、もはや日常的な出来事でもあった。昼下がりの光あふれる街には日常と異世界をつなぐ、そうした無数の不思議な出入り口が、ひっそりと用意されている。そんな街の見えない結界を自在に出入りしながら、私は現実とその裏に秘む世界との間に立ち登る夢の断片を、一つ一つ紡ぎながらさまざまに街を彷徨ってきたような気がする。

 目まぐるしく流れ変化を続けるTOKYOは、地球上で最も無国籍で無機質な都市の一つになってしまったが、私はそんなTOKYOを取り囲む不毛な風景を、不毛さとして受け入れそのままにずっと愛してきた。私にとって都市とは地図上の制限された一地域を目指すものではなく、都市を包み込む膨大な空間に対する認識と洞察力があって初めて目の前に現れてくる世界であった。

 そしていつの頃からかその荒涼とした風景が、空っぽの空間それ自体が、モノを分泌する得体の知れぬ茫漠としたイノチを持った風景として輝いて見えるようになった。その空間に息づく、ヒトも動物も、高層ビルも自然も、埋立て地もオブジェも、廃墟もゴミの山も、空を覆う巨大なビニールシートさえも、すべてが愛しい風景として痙攣するように浮かび上がって見えてきた。それは長い間、私が無機質な都市を無機質として愛した涯てに、ようやく立ち現れた風景であった。素晴らしく晴れわたった日などは、都市の裂け目より出現した黒い深淵が、ときおり私を飲みこむように迫ってくるのが分かった。

 私はTOKYOの日常と異世界との淡い境界から生まれる異形の光景を愛しながらも、その世界に調和を求めなかった。むしろ都市が放つ光の大きな乱調の流れの中にこそ、私の求める世界があることを確信していた。この写真集に収められた一連の作品は、私と対象世界とのそんな流れとうねりの中で撮られたものだ。TOKYOは絶えず私を挑発し、その破壊と消滅の予感の中でも、決して静止することのない覚醒した意識をもった流動体であった。私はTOKYOとその均衡をひたすら歩きながら、その光の世界に染み出すように現れた世界を撮り続けてきた。常にアナーキーな刺激と新しい感性を与え続けてくれた尽きることのない都市への思いと同時に、奔放に見えながらも一貫した意識の流れを、途切れさすことなく最後まで或る緊張感を持って持続できたことに今は感謝したい気持ちだ。

2007年1月10日 内山英明
「東京エデン」より


JAPAN UNDERGROUND IV 表紙
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JAPAN UNDERGROUND IV
地下世界の感受性

 一枚一枚の写真がどんなに優れたものであっても、それは単なる断片にすぎない。でも各々(おのおの)の断片が関連し合い、呼応しながら一つの世界を作るなら、そこにはかつて見たこともない、壮大なリアリティを持った世界が立ち現れるだろう。そんな思いに駆られながら私は長い間撮影を続けてきた。私にとっては何を撮るかというデーマよりも、何をどのように表現するかといった方法論のほうが重要な問題であった。

 私が地下に潜り始めて16年、その間に地下施設は私たちの足下に凄まじい勢いで増殖し、多様な世界を形成してきた。その一見SF的で魔界的な空間は、人間が人間のために築いてきた施設であり、剥(む)きだしの欲望が澱(おり)のように溜った、巨大なる巣窟でもあった。地上の無個性で薄っぺらな情報社会とは違う、生々しい個性に満ちた実体をもった貌(かお)がそこにはあった。

 3年前に刊行された第3作は、地下施設の中でも現代社会を根底で支えるセンセーショナルな施設をあえて捜した。しかし取材許可さえ順調に進まず、撮影も過酷を極めた。その撮影も何とか終わり、久しぶりに潜った私を出迎えてくれたのは、さえざえと広がる気流のような闇だった。冷んやりとして凛(りん)とした“気”に充ちた闇。その闇こそ、地下に潜り始めた当初から常に私の影となり、ときに私を呑みこみながら未知の世界へ導いてくれた、かけがえのない同伴者であった。私はそのことを改めて痛切に体の中に感じた。

 この第4作では、そのカリスマ性をもった地下世界の宇宙的な広がりを今まで以上に意識しながら、最新の科学施設やバーチャルな大空間、数々の巨大インフラ施設、幻の地下駅から大要塞など多くの地下施設を巡った。時空さえも蕩(とろ)けるような世界の中で頭だけは常に冴え渡っていた。体感する世界がリアルであればあるほど妄想は幻覚を呼び込み、とめどなく膨らんでいく。ときおり眩暈(めまい)のように襲ってくる法悦感を伴った不思議な知覚は、私の精神に一種の狂乱を引き起こした。そんな意識の狂乱さえ密(ひそ)かに楽しむ余裕を私はやっと持てるようになった。それもすべて地下世界が呼び起こした力業(ちからわざ)であった。

 見るものすべてに注がれる鋭敏な眼差し、そこから溢れ出る強(したた)かでしなやかな感性、地下では強靭な個性だけが世界を貫く力を持っている。16年間、数多(あまた)の地下世界を巡ってきて思うのは“地下の感受性”とも言うべき、地下が人々に与える強烈な喚起力だ。私たちはその力を今失っている。それを呼び戻す作業は大事なことだ。それは突然襲ってくる啓示に充ちた宗教的感覚とどこかで深く繋がっている。

 本書の製作に於いては、これまで通りアスペクトの宮崎洋一氏をはじめ、同編集部の北尾めぐみ氏、デザイナーの守先正氏、英訳のデビット・ラッセル氏、プリンティングディレクターの高柳昇氏。他では雑誌『プレジデント』の桂木栄一氏、それに多くの現場の方々にお世話になった。改めてこの場を借り感謝するしだいです。

2008年10月1日 内山英明
「JAPAN UNDERGROUND IV」より


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