特集
表参道のヤッコさん 千駄ヶ谷日記 text by Yacco.
2007年4月16日 幻冬舎より『私に拍手!』が出ました!

皆さま

  体力ぎりぎりの、しかし楽しい仕事が続き、3月末に出た新刊『私に拍手!』のお知らせがのびのびになり、早くも2週間たってしまいました。それでも昨日友人に言われて、ネットでタイトルで検索したら、いろんな方のブログに登場していることを知りました。今日こそお知らせしよう……などと思っている間にさっさと一人歩きをはじめていたことに驚くと同時に、本当にありがたいと思っています。

 『私に拍手!』は現在進行形のわたしというか、50代から60代の今のわたしのことが中心になっています。

 『表参道のヤッコさん』が20代の出来事、70年代のカルチャーが中心になっていましたが、今度は少しばかり違った方向から書いてみました。『表参道のヤッコさん』には200枚以上の時代の証言的な写真が全編にわたって載っていますが、今回はがんばって文章だけの本になってます。

  表紙の写真は、偉大な細江英公さんに許可を得て、使わせていただきました。

 何人かの方に、「これはヤッコさんの子供時代の写真?」と訊かれています。

 広々とした田舎道を犬と一緒に歩く小さな女の子の後姿の写真は、細江さん自身が、「これは靖子さんですよ。僕はこの写真が良いと思うなあ」とおっしゃったものです。細江さんの『たかちゃんと僕』という写真絵本の中から、アートディレクターの葛西薫さんが選んでくれたのは、なんと細江さんお勧めのものでした。

 編集を担当してくれた幻冬舎石原正康さんも、このキュートな装いの表紙にニコニコなさっています。

 そして、わたしときたら、このいとしい本を仕事や家事の合間合間に読み返して、ちょこっと涙ぐんだりしています。

『表参道のヤッコさん』のときから、いろいろなPOPを手作りしてくれている銀座教文館。今回も、またすばやい対応。photo:Yacco
千駄ヶ谷商店街「ブックハウスゆう」のご主人。ご近所のなかよしです。photo:Yacco
2007年2月17日 リリー・フランキーさんを待ちながら

  リリー・フランキーさんが「原宿発」という、私が毎月やっているトークショウにゲスト出演してくれることになった。今までトークショウなどやったことがない私だったが、去年からクラブキングとKDDI主催のトークショウを引き受けて、5回目のゲストがリリーさんというわけ。

 4回までは、多少なりとも知り合いだったが、今回のようにまったく知らない方で、そのうえ時の人とお話をするのって、ありがたさと好奇心の間に、私の中にかすかにある人見知りや引っ込み思案がブワーっと拡大膨張してしまう。

 これを何とかするために、トークショウの前日、スタイリストの高橋ツヨシ君とお昼ごはんを食べた。
 彼は『東京タワー』に居候のひとりとして登場する人物で、亡くなったリリーさんのお母さんのごはんをよくいただいたそうだ。

 リリーさんがダイナミックに遅刻することは業界ではかなり有名らしく、「そうなったら、ツヨシ君をゲスト席にひっぱりあげて、“リリーさんを待ちながら”というトークショウをするからね」と約束を取り付けてやや安心した。

 それから私は伊勢丹の食堂街にある銀座アスターに行った。
 ちょっときれいになりたいとき(風邪気味だったりするときも)、私は「回り道・エステ」をする。

 ふかひれのすがた煮が入った高価なそばを食べて、コラーゲンを補給する。コラーゲンは体内を一周し、私の肌に一日ぐらいは滞在して、しっとりさせたりピカピカにさせたりする(と信じている)。

 近頃は注射で、顔面になにやら胎盤みたいなものを注入する方法があるようだが、私は、「うまい!」エステが好き。

 当日、会場には11時ぐらいから行列ができて、12時には満員になってしまった。並んでいる若い女の子がフライヤーを観つつ、「今日、リリーさんはこのヒトとトークするんだって」などといっている。

 このヒトってここにいる私ですよ!

 2時、リリーさんの事務所のBJさんが現れる。あ、この方も『東京タワー』の登場人物だわ。「今日はヤッコさんに会うんで、『ヒーローズ』のデヴィッド・ボウイを意識して、これでキメてきました!」と革のブルゾンを指差す。

 昨日のランチで、ツヨシ君からBJさんが松田優作のファンだということを聞いていたので、記憶を手繰り寄せて「優作さんに一回だけあったことがあります」と言った。

 その昔、カルメンマキのマネージャーをやっていた方が、次に加藤和彦さんのマネージャーになっていた。ある時、ハワイロケでスタッフとレストランで食事をしていたら、私を呼ぶ男性がいた。

 別の撮影スタッフにそのマネージャーがいて「今はこのヒトのマネージャーです」と優作さんを紹介してくれたのだった。

 「いつか仕事をしましょう」というようなことを言われた気がするけど、私のほうは「へー、このマネージャーはおもしろい変遷をするんだなあ」とそちらのほうに気をとられてしまった。

copyright:クラブキング photo:かくたみほ
 トークショウは3時からオープニングの画面が動き出す。リリーさんは3時15分に現れた。
 一秒でリリーさんを好きになり、ちょこっと安心して、ぶっつけ本番のトークが始まった。リリーさんは、東京タワーの試写会のとき、私が事前にプレゼントしたオズワルドのTシャツ(ギャルソンの限定Tシャツ)を着てくれていた。

(ちなみに私は60年代のニューヨークっぽい「ネネット」のスカートを着用)

 ふと観客席を見上げれば、高橋幸宏さんがいるではないか。
 「ユキヒロさん、次のゲストおねがいね!」と叫んだら、「そのときはまた来るよ」とリリーさん。
 そんなラッキーなこと、ありですか?
 トークショウのあと、私の人生には春風が吹きまくっています。
2007年2月12日 映画『渋谷区円山町』

渋谷区円山町
『渋谷区円山町』3月、渋谷Q-AXシネマ他にて全国ロードショー
 永田琴監督の『渋谷区円山町』を観た。

 この映画の原作がおかざき真理の同名の人気コミックだということも、出演者が誰かということも、何も知らなかった。ただ永田琴さんという監督をちょっとだけ知っていて、彼女から遠慮がちなお誘いが1行だけ添えられた試写会の招待状が送られてきたのだった。

 渋谷区円山町は、ライブハウスや衣装のリース屋に行くとき、たまに通過する場所だ。タクシーの運転手さんには「東急本店からラブホテル街に向かって……」などと説明する。

 映画の舞台は、郊外の高校と渋谷の街とラブホテル。
 女子高生たちの2つのストーリーがラブホを軸に展開する。

 そこにあるのは、先生への恋心やいじめといったものなのだけれど、それがどうラブホと結びつくかは、ここで簡単には説明できない。

 でも、確かにこの映画には、少女から大人になりかけのときにだけ許される、危なっかしい一途さがデリケートに描かれている。

 それは永田琴さんが30代半ばで、表現者としてはオトナでありながら、まだまだ自分の中に少女たちと共有できる実感をあり余るほど持っているからだろう。

 「私だっていつまでも少女だわ……」と言いたい。でも、現代という時の流れのなかでは、私のトシでは、あるいは男性では、こうはいかないだろう。

 危うい時代の、危うい場所の、あるような、ないような、暗いような、明るいような、少女が跳躍し、綱渡りする一瞬の時。それをラブホで見事に捕まえた映画。


<付録>私の円山町
 40年前のある夜、男2人、女2人の若者(私を含む)は、渋谷でたわいもない夜遊びにふけり、終電を逃してしまった。
 私は竹下通りの木造アパートに住んでいたから、歩いて帰れたし、ほかの3人にしても帰宅方法はあったことだろう。

 でも、4人はあることを思い付いて、はしゃぎまくった。
 道玄坂を登って、円山町の連れ込み宿にみんなで飛び込んだ。
 とりあえず男女のカップルになって、それぞれ部屋に案内される。
 私たちの部屋の前には白い玉砂利が敷かれていて、その向こうにふすまがある。

 私はその白い玉砂利を見て「この三途の川を飛び越えるのね……」と言い、連れの男の子は、うっすらと笑った。
 冗談だよね……というつもりでふすまを開けると、そこには堂々と布団が二客敷かれていて、さすがに息を呑んだ。

 私が大声で「そちらさん、ど〜お? こっちはすごいよぉ!」と叫ぶと、それを合図に2組は合流して、4人でそれぞれの部屋を笑いながら点検した。そして、無事女性2人、男性2人の組み合わせで寝た。

 部屋は薄暗くて、それ以上楽しくもなく、ロマンチックでもなかった。
 早朝、4人は無口のまま、まぶしい朝日を浴びながら道玄坂を歩いて帰った。
 私たち女子には何も起こらなかった。たぶん男子にも。

 それからしばらくして、長期ロケで西インド諸島に行った。

 ハイチだったろうか、土地のお金持ちが親日家で、お屋敷の一部が日本家屋だということで、私たちクルーはそこに招かれた。

 確かにそこには日本庭園と日本家屋があった。でも、そのお金持ちは少し勘違いをしてるみたいだった。
 私は思わず「なにこれ! まるっきり連れ込み宿じゃない」と言ってしまった。
 一瞬シーンとして、全員が私の顔をのぞき込んだ。
 「ヤッコ、君もそういうところに行ってるんだ!」誰かがそう言ったけど、私は言い訳をしなかった。
2007年1月31日 チョコレートの季節

 一年間の女子大での週一授業がやっとやっと終わって、「ヤッコ先生」が消滅した。
 マジックにかかったように引き受けてしまった大学講師だったが、
 予想できなかった異常な大変さがあった。

 でも終わってしまったことだから、楽しいことを書こう。

 学生たちと表参道を歩く課外授業。
 自由課題で出したCMやプロモーションビデオの企画は、
 プロとは違う驚異的なアイデアや可愛いいアイデアが噴出した。
 私は興奮してその宿題を仕事仲間に見せ歩いた。

 プロモーションビデオの自由課題ではCharaとYUKIを取り上げる子が多かったが、
 一番びっくりしたのは坂本九。
 生徒自身のおばあさんの歌、おじいさんのハーモニカ伴奏で
 「上を向いて歩こう」のCDがついていた。ネライがいいよね。

 授業の最終日は撮影が入ってしまって休講した。

 それで、補講の日は机をどかして
 みんなで車座になっておしゃべりをしよう、と提案した。

 「お菓子とCDを持ってくるからね」と言って、
 当日、私はチョコレートを二箱、
 サディスティック・ミカバンドと清志郎さん、
 そして二階堂和美(新発見)のCDを持参した。

 学生たちもかりんとうやお砂糖のついた梅干や、いろんなお菓子を持ってきていた。
 チョコを食べながらみんなでおしゃべりをした。
 可愛らしい手作りのアルバムや手紙をたくさんプレゼントされた。


 講師室に戻り、最後の採点をしている間にも、次から次へと手紙が届けられた。
 『綴り方教室』の無着先生、『二十四の瞳』の大石先生みたいな気持ちになり、涙が出そうだった。
 採点だけじゃなくて、なるべく一人一人に感想を書こうとしたら、夕方になってしまった。
 学校前でバスを待ちながら、みんなからもらった手紙の入ったバッグを覗き込んだ。

 限界だと思った授業も、もう一回くらいならできそうな気がした。
 これは情にほだされた未練だけじゃなくて、
 心底「あなたたち、今どうしてんの? 何考えてる?」と聞きたい気持ちがつのったのだ。

 今朝は3月半ばのお天気だ。ポカポカした陽だまりの部屋で、
 学生からもらったジュディマリのCDを聴いている。
 春休みに生徒たちとまた原宿で会いたい。
2006年6月10日 宇野千代さん命日

 12時から青山で打ち合わせがあり、それが予想に反してたった15分で終ってしまった。次に人に会う約束が3時だったので、ちょっとひらめいて、この近所にお住まいの藤江さん(宇野千代さんのさまざまなことを受け継いでいるかた)に、電話をしてみた。打ち合わせ先のプロダクションから3軒さきに、デザートで有名な香港の「糖朝」があり、藤江さんはそこのマンゴーがたっぷり乗った仙草ゼリーがお好きなので。

「今私ひとりだから、すぐいらっしゃい」といわれて、2、3分の距離を歩いてうかがうと、なんと「今日は命日なの」とのこと。仙草ゼリーを仏壇にあげて、世間話に励む。すると、「先生のお墓が一週間前に出来たばかりだから行きましょう」ということになって、ふたりでお墓に向かった。没後10年目にして、分骨したのか、5分ぐらいのお寺の墓地に新しいお墓が出来ていた。

 出版社の方が、きちんと黒っぽい服を着て4、5人みえていた。私は飛び入りなので、いつもどおりの派手なTシャツとジーンズだ。お墓というより、モニュメントとでも言ったらいいのかしら、宇野さんの有名な言葉、「幸福は幸福を呼ぶ 宇野千代」とあり、赤い落款も彫ってあった。

『表参道のヤッコさん』に載っている写真の別バージョン。この写真の右手奥でいつも鋤田正義さん、糸井重里さんがゲームに熱中していた。真ん中でコーヒーを飲んでいるのは、小松フォトのお父さん。 撮影・Yacco
  「お墓に赤があってよかったのかしら」と藤江さんがおっしゃるので「宇野さんは口紅の似合う方だったから、落款は赤い口紅だと思えば素敵でしょ」といったら、藤江さんも感慨深くうなずいた。我ながら、都合良い解釈というか、ヒラメキというか、さすがB型。来年の春からは、この墓石にたっぷり桜が供えられることになるだろう。

 3時、アンデルセンで、若き男性編集者にあって、おしゃべりをする。平凡パンチ、ブルータス……、私は代々若い男性編集者にいろんなことを教えてもらってきた。今日は彼に表参道のエッジな新しいお店を聞いたけど、早くもそのメモをなくしてしまった。ですから、またお会いしましょう。
2006年6月9日 表参道界隈

1969年か70年のレオン。朝顔の鉢植えが見えるので季節は今頃でしょう。Tシャツはマドモアゼル・ノンノン。子供のおもちゃの首飾りを腕に巻いている。本に載せなかった写真がいっぱいあるので、オマケです。  撮影者不明
  茨城新聞(郷里)の取材を蔦コーヒーで受けた。青学会館近くのこの喫茶店を、「広告批評」の前島さんに教えていただいてから、何度も来ている。表参道に出る道を歩いていたら、アニエスベーの前で、糸井重里さんにばったりお会いする。

 朱色に近いオレンジ色のポロシャツで、遠くからにこにこ笑いながら近づいてきて、すれ違いざまに、「今村さんのシャツ(ジャンパー)、うらやましかったよ」と言われた。

 そうそう、数日前、かなりのダメージがあった今村さんの古着のジャンバーをネクタイ柄を使って再生したんだった。ネクタイを使うのは今村さんの提案で、テープのように細く切って、ほつれているところを直したら、すごく可愛くて、私のジージャンもそうしたいと思ったけど、今村さんのオリジナルなのでぐっと我慢。それを今村さんがブログに書いて、糸井さんが読んでらした、とのこと。(糸井さん、私の日記もときどき読んでね)

 それから100メートルぐらい歩いたところで、こんどは作家のいしいしんじさんにばったりお会いした。「やっこさん、本は発売日に本屋さんに行って買いましたよ」とのこと。なんてありがたい!いしいしんじさんは「オニオン」のオープニングパーティで知り合って、その帰り道、六本木の青山ブックセンターで「ぶらんこ乗り」を買ったんだった。

 あの時の帰り道はカメラマンの小暮徹さんとおしゃべりしながら帰ったなー、と関係のないことも思い出す。いしいしんじさんの最新作「雪屋のロッスさん」も、独特な世界。このうえもなくやさしい語り口だけど、人生の残酷さや怖さが秘められていて、おおっ!と絶句する時もしばしばある。

 今日は表参道を歩いているだけで、なかなか会えない人に会えた日だった。表参道では今は亡き香港のスター、レスリー・チャンとばったり会ったことも。私がすぐ近所の「アトウ」という店にお連れしようとしたら、「こんど来るときは、必ずいっしょに行くから」と言ったのに。その時のことは、またいつか。

【編集部注:今村直樹さんのブログはこちらから 古着のことは2006.5.20の日記に】
2006年4月22日 アースデイ

 思い起こせば1970年4月、私はニューヨークで第一回「アースデイ」に遭遇しています。五番街を走るすべての車がシャットアウトされ、楽しい催しとそれをエンジョイする人たちで溢れていました。(くわしくは『表参道のヤッコさん』に書いてありますよ)

 それから20年後の1990年4月、ロスアンジェルスで、20回目の「アースデイ」を経験しました。そのときちょうど私はロケでロスに滞在していて、仕事が終ってから参加しています。ステージが組まれていて、いろんなバンドが参加していました。

ステージの左のほうでギターをもっているのはSUGIZOさん、ペインテイングしているのは黒田征太郎さん。  写真撮影・Yacco
  どちらも、偶然そこにいたわけだけど、何かを感じたのです。その何か...をうまく表現できないけれど、以来ずっと、東京でもアースデイを意識しています。

 今年も友人のしんこさんに誘われて、代々木公園に...。この日の意味を感じて、集まってくる人たちは、少しずつ増えているような気がしています。といっても、私は夕方7時に駆けつけて、最後のほうに参加しただけ。すっかり冷えてしまって、しんこさんとチャーリーで、ラーメンを食べて温まり、原宿駅まで歩いて帰りました。

【編集部注:アースデイ東京2006のWebサイトはこちらからもご覧いただけます】
2006年4月15日 遅咲きの桜

 朝、原宿の眼鏡屋さん、ロイドの開店時間に合わせて家を出る。 鳩森神社に寄って、お賽銭を上げて、拝む。境内はしだれ桜が満開で、今年初めて桜を撮ってみた。

鳩森神社は3人ぐらいの方がお掃除してました  写真 撮影・Yacco
  今年の桜の季節は、何故か胃痛が続いていたが、今朝は久しぶりに胃腸も、頭脳も生き生きしている。「今日はなにか、やるぞ!」という感じ。

 坂を降りていって、アフタヌーン・ティーでブロッコリーのスープと焼きたてのパンを食べて、ロイドへ。撮影用の眼鏡のリースをいくつか。

 ロイドあたりは30年前住んでいたところなので、仲良しの八百屋さんと電気屋さんに寄る。悲しいことに八百屋さんは今月いっぱいだそうだ。3軒並んでいた魚屋さんが消え、食料品店が消え、いよいよ八百屋さんが消える…。

 夕方、伊勢丹に行ったので、紀伊國屋書店をのぞく。私の本は、2ヶ所に配置されていた。『週刊文春』の「文春図書館・今週の3冊」に選ばれて、超うれしいことを顔なじみの店員さんに伝えたところ、「もうちゃんと読んでいますよ」とのこと。

 そうなんです。水曜日ぐらいまで発売している週刊文春4月20日号に、元ビックリハウスの編集長、高橋章子さんが書いてくださっています。じつは章子さんとはお会いしたことがないので、来週中にアドレスとか教えていただいて、お礼したいな。大酒飲みだとかいてあるので、飲めない私はランチを・・・とお誘いしよう。週刊文春は近田春夫さんの「考えるヒット」が454回目とあって、これも驚きました。

 今月は、たくさんの雑誌に紹介され、私は必死で手製のニュース・レリーズのようなものをつくって、歩いています。みなさま、ほんとうにありがとう。

 5月下旬まで、ブログ移転作業のため休載なので、ついゆったりしていたら、書くのがヘタになりました。いけない、いけない、ちゃんとつづけなくちゃ。
Yacco
掲載写真128点。また、巻頭に1960〜70年代の原宿・表参道・青山のイラストマップを収録。


スタイリスト暦40年の著者がおくるリアル青春ストーリー
表参道のヤッコさん
フラワーレボリューション、ロンドンポップ、グラム・ロック……、1960〜70年代のカルチャーシーンのど真ん中を駆け抜けた一人 の女の子のスリリングな冒険の物語。
高橋靖子

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定価:1,470円
判型:四六判/並製
ページ数:276ページ
初版年月日:2006年03月02日
ISBN:4-7572-1229-1
著者からの手紙
みなさま 
こんにちわ。
のお知らせです。
実はずーっと、ずっーと夢見つつ暖めてきた私の本がやっと出版されることになりました。
2月20日に芽を出し、これからチューリップのような花が咲いてくれたらいいな、と願っているところです。
表参道に育てられた私の1970年代を未来のためにもう一度生きてみました。
いろんなジェネレーションの方たちと、この時間を共有したいと思っています。
この時代の伝説を、現在の息吹の中で、生き生きと呼吸していただきたい。
恥ずかしいけど、精一杯そう思っています。
2006年3月 高橋靖子
アンケートに答える応募コメント大募集 めざせ100人!
老若男女、有名無名を問わず、読後の感想をお寄せください。
右のアンケートボタンから、どうぞ。

こんな方からも読後のコメントをいただきました。(50音順)
伊賀大介さん ・ スタイリスト
「ボウイとイギーが一緒にライヴをしていた年に生まれた僕の幾分かは、ヤッコさんのおかげで出来ている」。
糸井重里さん ・ コピーライター
「表参道って、たぶん、いまの何かの先祖なんだと思う。高橋靖子さんは、それを生んだ人のひとりだ」。
坂本龍一さん
「いちばんクリエイティブだった頃の原宿・表参道を語るのに、これ以上ふさわしい人はいないよね」。
P.S. 平凡ですけど......。
山口小夜子さん ・ ウエアリスト
「この本はファッションの聖地、原宿の聖母ヤッコさんが歩んだロックな出会いの経典です」。

ヤッコさんの歴代アシスタントの方々からも読後のコメントをいただきました。
中村のんさん ・ スタイリスト(70年代、ヤッコさんのアシスタント)
写真を見たとたん、なつかしい思い出が熱く込み上げてきました。少女だった私がキラキラした思いで見上げていたヤッコさんと、そのまわりの世界があっちにも、こっちにも……35年前にワープしたような不思議な気持ちになりました。ヤッコさんは貴重な時代の貴重な目撃者です!
メッツメさん ・ 主婦(70年代、ヤッコさんのアシスタント)
写真がいっぱいあって、イヤーなつかしい! 初めて行ったレオンでは、浅井慎平さんがカーキ色のトレンチコートにサングラスで隣に座っていてビックリ! また静雲アパートでは、松山猛さん手土産のシャブリとカマンベールチーズを初体験。何もかも新鮮で、ヤッコさんと働いた数年は、あっという間に過ぎ去りました。70年代は素敵な時代でした。
浜仲(テラト)愁子さん ・ スタイリスト(80年代、ヤッコさんのアシスタント)
青く、若く、美しいヤッコさんが、とても、とても輝いていました! 熱くキラキラした時代、70年代の体温がすべてのページにこめられています。誰も生まれてくる時代は選べないけれど、好奇心いっぱいで全力で進んでゆく先には、素敵な感動がきっとある!と信じさせてくれる本でした。
木下志津子さん ・ スタイリスト(2000年代、ヤッコさんのアシスタント)
さまざまな時や場所を、さまざまな人やカルチャーと出会いながら、一気に駆け抜けたような気分にしてくれる本です。読後、あれもしたい、これもしたい、あそこに行きたい、あれを観たい……という気持ちが湧き上がりました。常にアンテナをはって、いち早く面白いものをキャッチしていく、そんなヤッコさんの姿勢はとても刺激的です。本当にたくさんの人に読んでもらいたい、勧めたい本です。