1963年、チェチェンの首都グロズヌイの郊外、アルハン・カラ生まれ。1977年、ソ連邦ジュニア柔道大会で優勝し、以後多くの柔道大会にて金メダルを獲得。1985年、クラスノヤルスク医科大学卒業。1988年チェチェンに帰国し、首都グロズヌイにて形成外科医として医務につく。1994年、チェチェン戦争勃発とともに、野戦外科医として活躍。敵味方を区別しない医療活動のために、ロシア連邦軍とチェチェン過激派双方から命を狙われる。2000年米国へ亡命、同年11月米国NGO・ヒューマンライツ・ウォッチから「2000年人権監視者」の栄誉を受けた。NGO、チェチェンの子ども達国際委員会議長。
柔道の創始者でもある故・嘉納治五郎氏を心から尊敬するバイエフ医師は、来日のさいに講道館道場での稽古も予定しており、日本訪問を心待ちにしている。