─── いよいよ完成しましたね。14年ぶりのオリジナル・ソロアルバム「One Night」。5月23日(水)発売です。織田さんのニューアルバムの発売を記念して、織田さんの「音楽」と「人となり」をじっくりとお聞かせいただきたいと思います。題して織田哲郎「THE LONG INTERVIEW」第1回。それでは織田さん、よろしくお願いします。
織田 こちらこそ。のんびりといきましょうか。
─── 今年の織田さんは各メディアへの露出も増えていきそうですね。コンサートも6月23日(土)渋谷DUO MUSIC EXCHANGEでの「Pop Meets Jazz Vol.5」へのゲスト出演も決定。ご自身のコンサートスケジュールも以下のように決まりました。
日時 |
場所 |
お問い合わせ先 |
発売開始日 |
6月28日(木) |
大阪 バナナホール |
サウンドクリエイター TEL:06-6357-4400 |
5月26日(土) |
6月29日(金) |
名古屋 ボトムライン |
サンデーフォーク TEL:052-320-9100 |
5月26日(土) |
7月6日(金) |
東京 SHIBUYA AX |
ディスクガレージ TEL:03-5436-9600 |
6月9日(土) |
>>詳しいお知らせは織田哲郎オフィシャルサイト[INFORMATION]をご覧下さい。
─── さて、早速ですが、どんなコンサートになる予定ですか?
織田 まだこれからですよ。構成を考えたり、細かいことを詰めていったりするのは…。乞うご期待ということで・・・もう少し待ってください(笑)。
─── ではこの織田哲郎「THE LONG INTERVIEW」は10週連続毎週水曜日更新ですので、決まり次第、このインタビュー連載でも紹介していきましょう。
織田 そうですね。お願いします。

─── まずタイトルを「One Night」とした由来を教えてください。
織田 自分自身の生活を思い起こしてみると、中学時代からずっと夜型でしたね。特にこの10数年、ずっと何をしていたかというと、よく酒を飲んでいたなぁ(笑)とか、そういうことも含めて、「夜」生きていたなぁと…。
─── 「夜」出来たアルバム、いくつもの「夜」を生きた織田さんの思索の歴史が凝縮されているのでしょうか?
織田 ここ6年くらい、このアルバムを作っていたわけだけれど、アルバムをどう作っていたかを思い出すと、いつも夜作っていたなぁと…。「青空」という曲も歌詞としては青空だけれど、夜作っていたしね(笑)今回のアルバムに収録した曲の歌詞を思い返してみると、特別意識して、コンセプチュアルな作り方をしていたわけではないけれど、「ある夜に…」っていうことでストーリーが始まってくるものが多いなぁという気がしたんだよね。
─── 歌詞を拝見してみて、ある夜の情景、ある夜に物思う、そんな雰囲気がまず伝わってきます。
織田 そう、枕詞として「ある夜に」ということだよね。
─── 織田さんは夜型というより、僕の印象ではいつも起きているというイメージがありますが・・・
織田 ハハハ、そうだよね(笑)。本当にいつも起きているからね。
─── 昼夜逆転の夜型生活ではないですよね。
織田 一般的にいう昼夜逆転の生活ではないよね。昼間も動いているし…。今回「インソムニア」という曲があるけれど、この数年不眠症、頭痛など体調の異変と不調が続いて、それでも眠らずに仕事をして、酒飲んで…、そもそも体がタフだったから、そういう生活でも生きてこられたわけだけど、でも昨年さすがにこれはちょっとヤバイかな?と感じるところがあってね。
─── それで禁酒したわけですね。
織田 そう。去年酒を止めて、それ以外にも砂糖とカフェイン、タバコといった刺激物を一時ピタッと止めてみた。これがね、俺にとっては良かったね。もちろん、人によって何が良くて何が悪いは個体差があるでしょう。俺に限っていうと、これが本当に効いた。砂糖とカフェインと酒をピタッとやめたら、見事なまでに眠くて、眠くて…(笑)、よく眠れるようになった。
─── 人一倍眠らない織田さんが眠くなったと…、その結果どうですか?
織田 よく眠ることで体調が確実に回復してきたし…。これは良かったと思いますよ。もし眠れなくて困っている人がいたら、「砂糖とカフェインと酒を止めてみなさい! 」…と断言するのは危険だから、「止めてみるのも良いでのはないでしょうか?」と強くおススメしておきます(笑)
─── 砂糖とカフェインなどは一時的な摂取制限だとして、禁酒は継続中ですね。
織田 うん。一滴も飲まない。飲んでいない。いや、正月お屠蘇を一口味わった程度はあったかな(笑)カフェインや糖分は段階的に解禁して、この1ヶ月くらいは健康的な生活をしていますよ。あんまり偉そうなことはいえないけれど、夜12時前に眠くなるもの(笑)。しかも朝ちゃんと早起きするし…。
─── とにかく織田さんを拝見していると、内臓が丈夫で、タフだという印象が強いので、無理も効くということもあるような気がします。しかも織田さんをよく知る皆さんはご存知だと思いますが、稀代の健康マニアでもある。
織田 そうね。不健康な生活をするために本気で健康に気を配るということをしていたから、こんな無茶な生活も続けられたのかもしれないね。それにしても、自分でも本当にタフだったと思うし、丈夫だったと思うなぁ。

─── とくにベストセラー作曲家部門第1位、1,240万枚超(CDシングル)のセールスという日本記録を打ち立てた1993年の記録を調べると、織田さんご自身はじめてのセルフカバーアルバム「SONGS」とオリジナル・ソロアルバム「T」の同時リリースもあり、想像を絶するほどの凄まじい仕事ぶりだったのではないかと拝察しておりますが、実際はどうでしたか?
織田 でもね、一番仕事していた時期は実はもっと前にあったんですよ。俺が29歳のときかな、TUBEの「ビーチタイム」を作曲していたころだから1987年あたりかな? あの年は確実に音楽業界で一番働いていたと思うよ。なぜなら人間あれ以上起きていられるはずないから。29歳の誕生日に「あと365日で30歳かよぉ〜」とびっくりしちゃってね(笑)。「よしっ、この一年は一日というのは24時間働ける時間があるもの、と考えよう」と決めて、日々のスケジュールを組み立ててみたわけです。そしてきっちり実践した。一番ひどい時は二週間ほぼ眠らずに仕事をしたしね(笑)。
─── えっ、二週間ですか、タフという次元すら、超えているような気がしますが…。
織田 いやぁ、自分でも本当にタフだったと思うよ(笑)まともじゃないよね。最初の一週間はまったく一睡もせずに、ずぅ〜っと動いていたし、二週目の最後のほうになると、さすがに「落ちる」ように数分間気絶していたこともあったけれど…。とにかくよく働いたね。あの一年は平均で言っても、一日2時間くらいしか寝てない。だからあの一年でモノ凄く不健康にもなった。でも、これ以上働けないという限界まで頑張ってみたあの一年があったからこそいろいろな意味で気が済んだ部分もあってね。
─── 音楽業界だけではなくて、世の中にそんなに働いた人がいるのかどうか(笑)。それにしても凄いエピソードです。「良い子の皆さん、決して真似はしないように」って、注釈を入れておかなければなりません(笑)。実は僕自身も密かにタフだと思っていましたが、続けてほとんど眠らずに働けたのは、最高で4日ですね。それ以上になるとパフォーマンスはガタ落ち、モチベーションも持たない気がします。
織田 モチベーションが落ちると確かに起きていられないだろうね。一人でポツンとして、起きていろと言われたら、起きていられないと思うけど、何かに夢中になって、働いていたら、案外起きていられるものよ。人間はまだまだ頑張れる(笑)。

─── 以前織田さんにお話を伺っているときに、「レコーディング作業が大好きで、夢中になると知らぬ間に丸一日経っていたりする」と伺った記憶があります。平然とおっしゃる凄さは凡人の私には驚きでした。この世に音楽の神様がいるならば、やはり、文字通り天賦の才能を与えられた存在ではないかと改めて思いますが・・・。
織田 才能というものがあるとすれば、「どれだけ楽しみ続けられるか」ということに尽きるんじゃないかな。もし何かをやろうとするなら、一度覚悟を決めてすべての中心にそれを置いてそれ一色の生活をしてみる。そうすると何がどれだけ出来るのか、あるいは逆にどこが限界なのかが見えてくると思います。
─── 織田さんにとって、それは1987年、30歳を前にした一年ということになりますか?
織田 そうですね。あの一年があったから今までやってこられたんだろうな。
─── 今回「織田哲郎Project2007」では電子媒体の新しい試みとして「織田哲郎Gold Disc History」を製作しています。そこで織田さんの71枚もあるGold Discを時系列で追ってみると、お話を伺うまでは、忙しさという点でも、日本記録を達成した「1993年がピークなのかなぁ」と思っていました。
織田 1993年はシングルになった楽曲が一番多かった年で、確かにヒット曲も多かった。10万枚のセールスという報告を受けると、「失敗したの?」ってその当時は本気で思っていましたよ(笑)。でも実は忙しさの話で言えば、忙しいかどうかの尺度は曲を書いていた数ではなく、どれだけレコーディングをしていたかが忙しさを測る尺度になります。
─── 忙しさのピークにあった1987年のことをもう少し詳しく教えていただいてもよろしいですか?
織田 1987年は他のアーティストのアルバムを全部の曲を作曲して、編曲(アレンジ)、演奏も自分で担当して、レコーディングして…といったようにトータルで請け負うことが多く、1年で自分のものを含めて6枚のアルバムを作りました。その他にテレビのレギュラーが1本、ラジオのレギュラーが2本。それに加えてライブも40本。われながらよく生きていたなぁ。
─── (唖然)本当によくぞ、ご無事で…。それにしても超人的なスケジュールです。疲れ知らずというかなんと言うか。精神的にめげることや、モチベーションを高く維持し良い仕事をし続けることに限界は無いのでしょうか?
織田 さすがにね、あの年はレコーディングしていて、「これが好きでやり続けることの限界か」と思うことがあってね。それまでレコーディングのためにスタジオに入るとワクワクして楽しくて仕方がなかった。今でもそうだけど、基本的にレコーディング作業は大好きなんですよ。でも1987年に、忙しさのピークにあるとき、あんなに好きだったレコーディングスタジオから「帰りたいなあ」と初めて心から思いました(笑)。
─── 2週間も眠らないなどという超人的なスケジュールで働いていたら、さすがの織田さんも限界を迎えたと…。
織田 吹き出物が顔中にバッと出たり、目に見えるところ、見えないところ、いろいろな異変が出たり、もろにその影響が身体に現れましたよ。
─── そりゃあ、そうですよ。そうでなきゃ、宇宙人です。織田さん(爆笑)。

─── ではお話をニューアルバムの話に戻します。昨年(2006年)9月にリリースした「melodies」では国内の優れたミュージシャンとの素晴らしいコラボレーションが話題になりました。初めて聞いた時、彩り豊かな音楽の数々に「これぞ、本物のコラボレーションだ」と思った覚えがあります。そして、今回のニューアルバム「One Night」に関して、「織田哲郎の音楽、というものが初めて完成した」とご自身の公式ホームページのDIARYでもおっしゃっていますが、まずそのあたりからお話を聞かせて下さい。
織田 「melodies」では日本国内のさまざまな優秀な音楽家で「ぜひとも一緒に演ってみたい人」にお願いして、アルバムの制作に加わってもらいました。日本の音楽シーンで活躍する幅広いジャンルから優れたミュージシャンとのコラボレーションを本当に楽しませてもらったと思います。一方「One Night」に関しては、コラボレーションというより自分が納得するまで、トコトン気が済むまでやって見ようと思ってね。自分自身とも徹底的に向き合って、制作に参加してくれたミュージシャンにも「俺の頭の中にある音を弾いて欲しい」というスタンスでお願いしました。自分自身のテイクにしても何十回もボツにしました。「こういう音が欲しい」という要望を出して、参加してくれたミュージシャンにもだいぶ無理を言ってしまったかなと…。いやはや、どうもすいません(苦笑)。
─── 「One Night」にはこれまでシングル、ミニアルバムで発表された楽曲も含まれていますが、すべて録音し直したのでしょうか?
織田 そうですね。シングルで発表した「祈り」も「真夜中の虹」にしても、少なくともトラックダウンは全部やり直しています。楽器も含めて、ちょこちょこ直しているかな。
─── ところで織田さんの未発表曲はどれくらいありますか?
織田 ほぼ完成した曲で30曲、未完成で軽く数百曲はあるかな。
─── とするとその数百曲の中から、この12曲が今回のアルバム「One Night」に選ばれたわけですね。それではそれぞれの曲の制作秘話や聴きどころを次週からじっくりとお話を伺いたいと思います。よろしくお願いします。
織田 了解!
─── 次回更新は5月2日(水)を予定しております。どうぞお楽しみに。
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