商売を始めるにあたっては、業界の慣習に従うほうが無難だと思っている人も多いと思う。でも僕の経験からいうと、常識どおりにやっていたらいいかというと決してそうは思わない。むしろ常識から少し外れたところやその反対側に成功のヒントがあるように思う。
だいたい業界の常識と呼ばれていることは、業界大手各社の都合のいいように作られているもの。だからみんなが常識に従えば従うほど、じつは既存大手が得するようになっていることが多い。
常識に従っているだけでは、小さい店や会社は成長できないのが現実だ。フレッシュネスの店作りを考えながら、僕はそんなことを考えていた。
店の外観と店内の設計図、そしてメニューのイラストが完成したのは、窓の外が明るくなりかけた頃だった。
集中して描きあげたせいか、あっという間に朝になった感じだ。少し息が上がっていたが、頭の中はとてもクリアだった。
描きあがった「絵」を見ながら、
と思いを巡らせてみる。
他の誰かの資本で運営したいという気持ちはなかった。そもそも儲けをどうやって出していくのかも考えていなかったから、出資をお願いしようにも無理だったと思う。
そもそも僕自身、それを純粋な仕事としてとらえていなかった。この物件に惚れて、気づいたら徹夜でプランを練った。それも自分のやりたいことを絵にしただけで、とてもビジネスとは呼べない。言ってみれば「作品」みたいなものだ。
そう割り切ることにした。割り切った途端、俄然、やる気が出てきた。
自分のやりたいことなんだから、身銭を気ってやろう! そう思うと余計に楽しくてしかたがなくなった。
これから起業を狙っている人が聞くと、がっかりするかもしれない。でも事業を起こすときには、採算だけで考えるやり方もあるけれど、自分の理想とするものを実現しようという方向で起業する方向もあると思う。
採算だけで詰めていくと夢がなくなるし、夢を追いかけていると、経営が破綻しがち。どちらも一方に傾くと辛い。事業とは双方を兼ね備えたものではないか。けっして夢から入ることは間違いじゃない。
ただし、先立つものがいるのはどちらだろうと同じこと。どうやってお金を捻出しようかと思いを巡らせて考えついたのがゴルフの会員権だった。
バブル期に120万円で買った会員権が850万円まで値を上げていた。翌日、僕は誰にも相談することなくそれを売った。理想の実現のためなら、ゴルフを諦めよう。そう思って売ることに決めた。
ちなみにほっかほっか亭を立ち上げた時は、これよりも少ない資金で始めた。それであれだけの成長ができたのだから、今回はさらに成功の可能性はあると思った。
850万円のうち、800万円を内装費にあて、残りの50万円を預金する。この資金を元手に仕入れを賄うことにしよう。
投資もギャンブルも事業も、引き際を明確に決めておくことが肝心だ。僕は、元手の預金50万円が底をついたら店を閉める、というわかりやすいルールを設けた。その時は潔く内装費800万円に見切りをつけよう。そう腹をくくった。
その日、できたての設計図をもとに、内装業者に工事の発注をした。
ところがなかなか業者が作業を始めようとしない。こちらのオーダーにあれこれと意見をしてくるのだ。最初に頼んだのは、何件もハンバーガーショップの厨房を手がけてきた業者だ。その業者は、こちらがオーダーしている設備が規格を無視したもので、あり得ない設計だとクレームをつけてくる。
「今どき、こんな設備でハンバーガーを作る店はない」というのだ。
フライヤーは時間で自動的にUPするタイプじゃないと焦げてしまう。ただその装置は数十万もするものだ。そこで、手動の2層フライヤーにすれば安いし、自動装置にしなくても500円のタイマーで時間計りながらやればいい、と僕は考えた。
ハンズトースターもしかり。ある意味、マクドナルドがハンバーガーショップの先生になっているだけに仕方がないのだが、そのマクドナルドにしても創業時はグリドルで一つひとつ焼いていたはず。
日本では、すでにできあがったシステム、厨房機器のノウハウが一人歩きしているのか、それ以外の形だと工事ができないというのだ。「だから素人は困るんだよ」とでも言いたげな態度。
既存のチェーンのようなお店にするつもりはないということを、何度も繰り返した。
業者にとっては仕事でも、こちらにとっては作品づくりのようなもの。自分のお金をつぎ込んで、理想のお店を作りたいのだ。
パティ、バンズ、ベーコンなどを1枚、1枚丁寧に調理できる設備があればいい。すなわちグリドル1枚でいいのだ。
仕方がないのでこちらの要望したとおりに動いてくれる取引先にすべて変えた。
僕は会社員時代に現場監督をしたことがある。その当時の経験を生かして、建築現場に立って工事を仕切ったのだった。
世の中が師走の喧騒の中で、僕はせっせとお店を作っていたのだ。
床の板を張り替えるとき、下から数本、草が生えていた。業者の人が引き抜こうとするのを僕はあわてて止めた。
床から草が生えているお店。あえてアナログなムードを演出したかった。工事を進めながら心はワクワクしていた。
屋根には木製の看板を乗せ、倒れないようにワイヤで数箇所、固定。外観はグリーンを貴重に、刷毛で板にペンキを塗った。
そうしてイメージしたとおりの店が完成したのが、92年の12月上旬のことだった。 |